ある物事に対して最初に抱く違和感は非常に洗練されたものだ。人間の進化の賜物、あるいはその過程で退化しなかった、野生的な勘ともいえるかもしれない。

なんか変だな、みたいな感覚は、本質を探ろうとするプロセスと同程度かそれより重要であることがほとんどだと思う。格言系のインフルエンサーも、違和感のあるものを取り除いていけば人生の幸福度が上がっていくとかなんとか言っていた。

経験上、そうした勘が後になってひっくり返ることはあまりない。にもかかわらず、初めに汲み取ったはずの違和感はひとまず置いておいて、その後プラスに転じる裏切りを期待し、それを見たいがためにかなりの時間と労力を割く。このような場面との遭遇は少なくないが、私にはそれが非効率的に思えてならない。

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初対面の人に対する、私の直感は非常に冴えている。これは一方で先入観による決めつけとも偏見とも言えるし、誇れるものでは全くないということは前提として、私自身にとってはかなり好都合なものなのだ。

ではどのような直感が働くかというと、対面でも、メールやLINEなどのテキスト上でも、話してみて2ラリーくらいで相手のことが全部わかってしまう、というもの。ここでいう「全部わかる」というのは、なにも相手の本質全てが読み取れる能力的なものではないし、相手の良し悪しを一方的に評価するものでもない。

全部とは例えば、相手が求めていること、言われたら嬉しいこと、大事にしていること、嫌いなことetc...。これを読み取ることによって、私が相手のことを、相手が私のことを好きになれるかどうか、仲良くなれるかどうかが大体わかる。そこで違和感をもった瞬間、表面上の付き合いを始めて、それ以上心の距離を詰めることはない。そしてその逆も然りという訳だ。

2ラリーじゃ何もわからない、話してみたら気が合うかもしれないのに勿体無い、という意見もごもっとも。それは素晴らしい態度だし、丁寧な関係構築はそれだけ貴重だと思うが、せっかちな私にそれは向かなかった。

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初対面での2ラリーのうち、最初の言葉ないしは挨拶は第一印象。例えば、「はじめまして」なら丁寧で誠実、「どうも!」なら元気で親しみやすい、というくらいの、ざっくりとしたものだ。次に、その後続く会話での、話題、言葉選び、態度、表情。テキストならさらに、絵文字や、ひらがな・カタカナ・漢字の使い方、句読点の付け方、行間の取り方なども含まれる。これらでほとんど全てが決まる。

どういうことかというと、この2ラリーでは「相手にどう思われたいか」あるいは「どうとなら思われてもよいか」が明確に表れる。それらはほとんどその人の本質そのものであり、私への評価(私への興味の度合い)でもある。

「相手にどう思われたいか」は、その人の理想の表れであり、それに付随して「良いと思うもの、避けたいもの」、「好きなもの、嫌いなもの」、というのも自ずと見えてくる。

「どうとなら思われてもよいか」は説明しづらく、例えば、初対面の相手が無愛想だった場合を考えてみる。この態度の裏に隠れた意図は、緊張しているとか怒っているとか、はたまた「どうでもいい」とか、「取り繕わないのが私です」とか、「無愛想に接しても、良さをわかってくれるだろう」とか、何通りも考えられる。この見極めばかりは、その場の空気から伝わってくるという以外に言い表せない。

私はこれらの要素を、自分の性格や価値観と重ね、相手が私をどう思うのか、その逆もまた同時に予測する。おそらくこのような一連の分析を、無意識領域で直感的に行っている。

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そういえば幼少期から、付き合う友達を自分で選んだ覚えがない。聞いた話によれば、幼少期の交流といえば、自分から話しかけて友達になることの方が多いらしい。私は、流れに身を任せているうちに、誰かしらから話しかけられ、気づいたら何かしらの友達グループの中にいるタイプ。とはいえ好き嫌いはもちろんあるので、おそらく理屈ではなく直感的に、自分が居心地の良いコミュニティを選び抜いた上でのそれだったのだと思う。

勘違いしてほしくないのだが、私はみんなから慕われるムードメーカーではないし、イジられて輝く面白キャラでもない。実際は卑屈で無愛想、プライドは高いのにズボラで、基本的には一人でいる方が好き。これだけでも、私が人を集めるタイプではないのが伝わっていると思う。

また、友達を自分から声をかけて作ろうとしないので、ちゃんと友達が少ない。基本的に、どんな相手に対しても、客観的に見て「面白い」と感じる方ではあるのだが、その中で、自分が努力をして関係を築こうと思える相手はかなり少ない。「狭く深く派」と言うと聞こえはよいが、ただの選り好みである。

さてこれまでの経験から得た私の、最初に相手を判断する軸を一言で言えば「私に興味がない人には、私も興味がない」である。先ほどの話で言えば、2ラリーの会話の中で、何かしらの方法で私への興味を示してくれるというのがスタート地点。ただし、人に対する興味とは、その人にたくさん質問するとかそういう単純なことではなく、態度や表情から伝わる気遣いや敬意にこそ表れる。

あくまで持論だが、自分に興味がない人に対して、興味を持たせようと割く時間は勿体無い。実際、この直感的な判断は、人間関係を後から振り返ってみてもよく的中している。相手も私を受け入れてくれるし、それならこれくらい強気でいい。世の中は割と生きやすい。