中学校1年生の時、私のクラス担任だった先生はすごく面白い人だった。

社会科の先生だったその人は、世界中の国とその国が抱える問題、世界情勢や文化についての知識が豊富で、教え子の誰かが尋ねれば先生の知識と経験のストックから惜しみなくそれらを分け与えてくれた。

授業の合間に挟まれるそれらの話が面白く、私はそれを何よりも楽しく聞いていた。授業よりも先生の話だけを50分間聞くような時もあった気がするが、私はそれでよかったと今でも思っている。

どんな小説や漫画、アニメよりも先生の口から語られる現実の世界は楽しく美しく、そして過酷だった。

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先生が私たちに分け与えてくれた知識は、彼が借金をして世界中に行って仕入れたものも多々あったらしい。

時々、借金の話をしては「先生、本当にお金返せるの?」などとクラスの男の子に茶々を入れられると、嘘かホントか分からない真剣な世間話のような口調で「そうなんだよ、やばいんだよ」などと言い、すぐ後ににっこりとして「まぁ、しっかりと働いて返せる程度だから」と言っていた。

かと思えば、「日本は世界から見ると、子供の人権については遅れてるんですよ」と、今から十数年まえの当時としてはかなり進んだ視点で先進国の子供達の様子や教育について語って聞かせてくれたりもしたのだった。

子供であるということに不平等さ、無力感、そして居心地の悪さを感じていた当時の私は、先生のこの話にとても救われていたように思う。

朗らかな破天荒さと聡明な優しさが同居しているこの人が、世界を飛び回らずに日本の中学校に居着いて、社会科の先生をやっていてくれた事が奇跡だと、そして私のクラスの担任だった事が幸運だったと、今でも思っている。

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そんな先生は、授業も面白かった。中でも、先生が受け持ったクラスで必ずやると言っていた、私にとっても思い出深い授業が『チョコレートの授業』である。

これは、先生が買ってきてくれたチョコレートを食べながら、ガーナのカカオ農場などチョコレートに関わる現場で深刻な問題になっている児童労働についてのビデオを観たり、先生が詳しく解説してくれるものだった。

私は、親も知らないだろう外国の話に真剣に耳を傾けることで知識が自分に吸収されていく喜びと、そんなに好きではない学校で好物の甘いお菓子を食べることの心地よさに包まれながらその授業を受けていた。

まだ、世界中が揃ってSDGsを掲げていない時代に、自分の暮らす場所からは見えない他者を搾取することに寄りかかった暮らしが許されないということ、そうしたものは少しずつ変えていかなければいけないのだということを、先生はやさしく楽しく教えてくれたのだった。

この世に平等などないことを、自分の生活が遠い国の、自分よりずっと細くて小柄な、同年代かそれより下の子供たちを踏み台にして、その苦痛で成り立っているのだという事実を、チョコレートと一緒に私の目の前に差し出してくれたのである。

狭い世界で一生懸命生きている気でいた私は少しの衝撃と、大きな開放感をその時に与えられたように思う。荒波に押されて大きく揺れた船の上で、叩きつけられた顔を上げた時に晴れ渡った大海原が一気に目の前に開けたような感覚だった。

世界を知った小さな痛みと、遠い外国についての知識が、そしてそこで苦しむ人のために懸命に活動する人たちがいるということが、爽やかな風のように私の頭の中に入り込んできた。

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それから、狭い世界でもそもそと情けなくもがくように生きていた私の1年間はあっという間だった。

進級する最後のHRの時に先生が言った言葉を今でもずっと覚えている。
「みなさん、どうか騙されないでください」
「これから先、あらゆる情報が溢れる社会になるでしょうけれど、どうかみなさん騙されないでください。ちゃんと自分で調べて、信頼できる情報や知識を手に入れられる人になってください」

TwitterをはじめとしたSNSはまだ黎明期と言って良く、ネット掲示板やブログが個人の情報発信の主流だった時期だった。ネットこそ普及していたものの、2024年現在と比較すればまだ社会に浸透しているとは言い切れない時代に、先生は私たちにこう言ったのである。

 不安定な世界情勢や災害、フェイクニュース、誹謗中傷、承認欲求に振り回される人たち。SNSやネットに溢れ続ける情報の荒波と言葉の暴風雨の中で、私は身体を丸めてそれらをやり過ごしながら、公式のアカウントが出す情報を眺め、文面や記事はできるだけしっかり目を通し、疑問に思ったら検索エンジンに向かうようにしている。

どうか騙されないでください。
この言葉は今でも私の心と頭の中で静かに暖かな輝きを放ち、荒れ狂う社会の中で灯台となって、私の視界を照らし続けている。