私がスマホの存在を忘れられる場所は職場です。

今、双極性障害の療養中で週1日、2時間だけ働いています。先生が「働いてもいい」と言ったわけでなく、私が「働きたい」と言って無理を押し通す形で、短い時間から社会復帰に……ということで働いています。

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普通、子供が小さくて働くとなると、逆にスマホが気になるのでは?と思うかもしれないですが、私の場合は逆で、仕事の日はまず自分の体調が「良い」か「悪い」かで出勤か欠勤か決まります。そして「働ける体調」であれば次に「子供達の体調」になってくるのですが、ここで大きな助っ人。夫の存在です。

夫は一昨年からイラストレーターになり、在宅ワークをしているため、家にいてくれています。ですので「子供達の体調」が良ければ何も問題ないですし、「もしかしたら電話が来るかも?」くらいの体調の時も対応してくれるのです。さすがに休まなければいけないくらい体調が悪ければ、私が対応するので仕事を休みます。

ですから、職場にいるということは本当の意味でスマホのことを忘れることができる時間なのです。忘れすぎて、スマホを持っていくのを忘れてしまったことがあるくらい、職場は私にとってスマホを忘れられる場所です。

ちなみに、今私たち夫婦の間には車が一台しかなく、送迎を夫にしてもらっているため、スマホを忘れてしまった時はとても焦りました。しかし私がスマホを忘れて行ったことにいち早く気がついた夫が、気を利かせて終了時間ちょうどに迎えにきてくれて何事もなく済みました。本当に自分はおっちょこちょいだなと思いますし、夫には感謝ばかりです。

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以前のエッセイにも書きましたが、私は働くことが好きです。大学を出てからずっとやっている介護の仕事にも誇りを持っています。

なので仕事ができているということは、私が自分らしく過ごせているということに繋がります。結果、スマホから離れた時、私はネット社会ではなく、現実社会で生活していると感じられていて、自信を持って生きていると実感できている時でもあります。

と言っても、スマホを操作しているから、持っているから自信がない、自分らしくない。ということではなく、スマホを手放した方がより自分らしく生きがいを感じられる。という意味です。

なにせスマホを手放す時間は仕事をしている時の他に、子供と向き合っている時、自分にできる家事をしている時などもあるので時間としては結構手放しているのです。ただ、仕事以外の時間ではバタバタしすぎていてあまり多くのことを意識して考える余裕が無いのです。

しかし、それも裏を返せばまだ療養中である今の自分らしいということなのかもしれません。心に余裕がなく、自信がない自分。すぐにパニックになってしまう自分。しかし、そこから離れたくて、誰かの役に立てている自分を演じたいがために仕事へ行っているのも事実です。こうやって考えると、どちらのスマホを手放している時間も私らしい瞬間なのだなと思いました。