「さよなら」を言えなかった中学3年生の担任の先生を高校3年生になった今でも思い出す。

私は小学生2年生の頃から中学を卒業するまで不登校や別室登校を経験してきた。

小学6年生からは特別支援学級(特支)に席を置いていた。中学生になってからは自分に合わない環境であったことから特支の教室に行くことすら出来なくなってしまい、保健室登校をしていた。それは1年半近く続いた。

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少しずつ自分が大丈夫だと思える先生と特支の教室に挑戦するようになり、3年生になった頃には毎日約3時間通うことが出来るようになった。そこで数学を担当していた担任の先生。中学3年生になったにも関わらず小学6年生で止まっていた学力。高校の入試に間に合うようにと考えて授業をしてくれた。勉強の息抜きに先生とたわいもない話をする時間が私は大好きだった。それを楽しみに学校に行っていたと言っても過言ではない。入試が終わり無事合格。それからの数学の時間は先生と話して終わることも増えた。変わらずにその時間を楽しみに学校に通っていた。ただ、高校に合格したことを機に学校に通う理由は分からなくなっていた。

卒業目前の2月。私は学校を休むことを決めた。いつも一緒に行動してくれていた支援員の先生が産休に入ることになったからだ。

高校に合格してから学校に通う意味が分からなくなっていた私にとっては罪悪感なく休める理由だった。卒業式にも出ないことを決め、最後の日はいつの間にか終わったと思っていた。

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中学校は正直言えば大嫌いな場所だった。理解してくれる先生がすごく限られていたし、小学校ではしてもらえていた考慮がしてもらえずに大変だった記憶がある。あまり思い出したくもない。

そんな私だが卒業式当日に学校へ行った。大嫌いな中学校に最後の抵抗として私服で。すごく辛かったのは理解のない先生たちにグイグイ来られたこと。それ以上に辛かったのはそんな先生たちが理由で感謝を伝えたかった担任の先生と話せなかったこと。あの時の自分は話せるような状態ではなく、頷くことが精一杯だった。

校長先生から卒業証書をもらった後「先生からの卒業証書だから帰ってから読んでね」と言われ、担任の先生からもお手製の卒業証書をもらった。あの場にいた先生の中で唯一自分を理解してくれていた先生からの卒業証書。本当に嬉しかった。本物の卒業証書の何十倍も。

そう思っていたから余計に、ちゃんと話せなかったことを後悔して、今でも思い出してしまうのだろう。

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今どこで何をしているのか分からないから直接伝えることなど出来ない。きっと後悔し続けるだろう。卒業シーズンになれば尚更苦しくなってしまうかもしれない。だからこそここに書いておこう。あの時もっと話したかったこと、本当は感謝を伝えたかったこと。それが出来なかったことを後悔していること。

先生との楽しかった日々を今でも思い出します。そんな私はもうすぐ高校を卒業しますが、体調面を考えて進路は決めていません。先生からもらった卒業証書に書いてある「自分らしさを忘れずに」という言葉を胸に自分に合うことを見つけていきたいと思います。先生、本当にありがとうございました。

いつかこの気持ちが伝わることを願って。