今現在の私は、三重の意味でマイノリティであると捉えることができる。

一つ目に、私は千人に一人生まれると言われている聴覚障がい者だ。

二つ目に、私は摂食障害を患い学校に通うことはおろか、日常生活をおくることすら困難な時期があった。

三つ目に、私は摂食障害により高校を留年し、学年をやり直して今ようやっと高校の卒業にたどり着いた。

病気になって初めて自分の中の普通の定義を疑った。「普通とは何だろう」「どうして私は生きているのか」「何もできない自分に生きる価値はあるのか」普通になりたくて難聴を隠してきた私に抑圧された本当の私は、もう私に答えを教えてくれなくなっていた。

みんなのことも信じられない。嫌われたくない。私を置いていかないでと笑う顔は痙攣し、怯え、泣いていた。

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私はその病気の沼の中で幾度も「昔の私」について回想していた。

教室移動で遅れて怒られる私。聞いていなかったんでしょと言われる私。教科書の音読で自分の順番が回ってきたのに気づかない私。自分が発表した意見がもう発表されたもので、聞いていなかったのと笑われる私。これらはどれも小学校の私だ。

私はみんなも私と同じように聞こえてるのだろうと思っていた。私のテストの点数は比較的良かったため、親や先生たちは私が聞こえていない時があると思っていなかった。学校には言っていたのに。

中学校に入って、私は誰よりも点数が高くて、誰よりも運動ができる人であったら、聞こえていなくても馬鹿にされないはずだと思うようになった。いわゆる完璧主義に拍車がかかっていったのだ。

数学の授業で当てられたから答えを言えば、途中式から言わなければいけないようで怒られる。体育でも部活でも指示が聞こえない。音がより聞こえにくい水泳の授業はよりストレスだった。

キャプテンで指示を出す側なら聞こえなくても大丈夫だろうと思っていた。そんな中、私が入っていた部活である、バスケットボールの試合中の声が私にはより聞き取れなくなっていった。指示が通らないからチームの動きが出来ず体が力んでいく。バスケットボールが怖くなった。今までごまかしてきた会話だけでなく バスケットボールでも聞こえなくなってしまった。

そうして私は食べることをやめ、生きることをやめようと思った。

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そんな私にとっての転機は高校だった。

みんな自分のことに一生懸命取り組んでおり、人の悪口を好まない人が多く、何と言っても私は高校で初めて聴覚障がい者としての配慮を受けたのだ。

学校では私の他に聴覚障がい者はいないが、私の補聴器マイクを先生方に付けてもらうことも快諾していただいた。先生が付けるのを忘れていた時に「ごめんね」とも言ってくださった。

それまで私は私の情報保障は自分でやらねばと思っていた。私は高校で初めて私と私の居場所を見つけた。自分が汚いものではないように感じ、自分が人間であることに安心した。

自分で自分を見つけることはとても難しい。

それまで、私は相手の人の瞳に映る自分に戸惑い、怯えていたが、病気を乗り越えて障がいと初めて正面から向き合ってからは、安心を見つけることができた。

他人のことを理解するのは難しいが相手の瞳の中に自分ではなく、自分に付属するものだけが映っていると、どうも悲しい。私は私の耳に不自由さを感じないと言ったら全くの嘘であるが、それを含めて今は、自分を大切に思っている。

視覚情報に頼って生きてきたからこそ、私は私の見たものにより自信を持って、これからも真実を見つめていきたい。