韓国アイドルの相次ぐ自殺。学校生活が苦しく、自ら命を落とした中学生。全く違う世界の話だけれど、どこか、共通しているように思う。
限られた世界で一生懸命生きていて、誰にも打ち明けられなかった苦しい想い。「命を絶つ」という選択を選んだ彼女らのニュース決して人ごととは思えなかった。

小学校はいつも荒れていた。自分には奇跡的に友達がそばにいてくれいたけれど、その小さな世界が苦手だった。
高校生活では笑顔でいると、人が自然と親切にしてくれたから、そんなふうに過剰に良い人でいようと努めた。
もしかすると、みんなそうだったのかな。日々ニュースを聞くと環境が被ることがあり、こういう経験は私だけでないかもしれないと思った。でも、その中いるときは、自分のいる世界が全てだと思っていたから、何も客観的に考えることなどできなかった。

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29歳になる私は今、これまでの人生でいちばん今が「幸せ」だと思う。そう思うようにしている。
コロナ禍で仕事を失い、昨年奇跡的に正社員として職を見つけ、今に至る。

学校生活と同じ。会社という小さな世界にいると、息苦しくなることがたくさんある。けれど、ときどきありがとう、と感謝をもらえたり、安定したお給料が振り込まれたり。それだけで、自分が認められた気がする。認められると、居場所があるように錯覚する。
組織というのは何か作られた雰囲気があって、そこに合わせる必要があって、その対価で居心地の良さ、強いてはお給料がもらえるのだろうか。

自分はこれまで長く仕事が続いたことがなかった。過去に精神的に不安定で、小学校から片親家庭で育ち、揺れ動く家庭環境に苦しんだ。
私がおそらく学校を辞めず、笑顔でその場を生きていられたのは、小さい頃に親切にしてくれた周りの大人の影響があったのだと思う。特に幼稚園までは、みんな優しかった。
話すのが苦手な私にも、居場所があった。そんな小さな経験というのは、前に進み、生きる力をくれたのかもしれない。

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生きるのは難しい。苦しい。嫌だ、死んだらどうなるんだろう?そんなことをときどき考える。

けれど、どうか、命を断つという選択をしないで欲しい。問題が起きている環境というのは小さな世界の出来事だけれど、どんな場所にも共通する。人が集まると何か問題が起きる。ひとつ沈むと、今度は別の何かが浮かび……その繰り返し。解決していける何か循環が生まれればと、そう強く思う。

ミモザの花言葉は「感謝」「友情」「小さな愛」だと言う。そんな思いを言葉にして周りの人に小さな感謝や愛を伝え合っていけば、相手への理解が深まれば、問題は少しは解決するのだろうか。

国際女性デーを迎える今、その日がなんのためにあり、謳われるようになったのか。そのことさえも、過去に生きることに苦しみ、その人たちを救おうとできた日だったとすると、その意義は大きかったかなと想像する。