生まれてから約9490日、もうすぐ26歳になる。ここ1年くらいのわたしは、ずっとずっと考えながら生きてきた。

「わたしは何がしたいんだろう、何のために働いているんだろう」

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いわゆる、自分探し真っ最中だった。自分探し中って、かなりきつくて、自分のことばっかり考えているから、自己中心的で。こんな自分に嫌気がさしてくるんだよね。

「楽に生きたい。生きづらくて苦しい」

小学生くらいの時から、ずっとそう思っていた。考えてばかりいる子どもだったんだよね。生きていく意味とか、夢をもつこととか、そんなことまで考える?ってくらい、子どもながらに考えすぎていたような気がする(うん、そうなんです。こんな生き方疲れるんだよね。分かってはいるけど……)。

だから、これからもずっとこの考えすぎメンタルは続いていき、苦しみとともにわたしは生きていくんだろうな、と思っていた。

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だけど、やっと、やっと!そんな自分から抜け出せそうなんです。25歳の自分!あっぱれ!笑

そう思えるようになったのは、人と会うために行動し、会話し続けたから。本を読んだり、ヨガをしたり、自分にできる精いっぱいのことをやめなかったから。

人と会って、たくさん話すことによって、自分の考える普通は、通用しないことを知った。苦しくて、苦い経験をすることもあったけど、いろんな価値観に触れることもできた。

特に、1番刺さったのは、「お金を稼ぐ方法なんて、いろいろあるんだよ」と教えてくれた友だちの言葉。

「いじめられて、ひどい言葉を浴びせられて、上司に助けを求めても助けてくれない。なりたかった職業に就くことができたのかもしれないけど、そんな職場で働く意味ある?自分をこわしてまで働く必要なんてない」

その友だちは、わたしにこう言ってくれた。だけど、その時は辞める決断なんてできなかった。やっと就くことができた職業だったのに。そんな簡単に辞められるわけないでしょ。そう思っていた。

だけど、いろんな局面に立てたおかげで、これからの人生を考えるきっかけにもなった。たくさん本を読んで、ヨガをして、自分の心を落ち着かせた。そして、いろんな人に会って、会話をし続けた。そのおかげで今こうして決断ができた。

「よし、仕事を辞めよう」

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そして、やっと今、自分がしたいこと、働く意味が分かってきた。

「わたしは、人をしあわせにしたい」

そう思えるようになってからは、早かった。
笑顔が増えて、まわりの人との会話が楽しくなった。そして、今までずっと向いていた自分へのベクトルが、ほとんどなくなった。

定職がなくなるけれど、「誰かのために、誰かのしあわせのために、生きていく」。この考え方に出会えたのは、25年間生きてきた中で、1番大きな出来事だったかもしれない。

独生独死。人はひとりで生まれて、ひとりで死んでいく。本来孤独な生だからこそ、人はひとりでいきていけないのかもしれない。
誰かのしあわせのために、行動して、働いて、生きていく。そんな人生にしていきたいと今は強く思っている。

1000人に1人の私。
考えすぎちゃう性格だと思っていたけれど、それすらも自分の考えすぎだったのかもしれない。これからは、誰かのしあわせのために生きていきたい。