「子どもは何にも悪くないのにねぇ。母親が失敗したから」
そう言って頭を撫でられるのが、私は嫌いだった。
両親は私が2歳になる前に離婚した。私が覚えている一番古い記憶は、父親と別れた2日後からだった。トラウマなど、その子にとって嫌な記憶は幼少期に消されてしまうことがあるとどこかで聞いた。だとしたら私は相当に父のことが嫌だったのだろうか。
20歳になって、ホテルのカフェで会った父親に、また会いたいと思えなかったのもやっぱり、私が人としてあの人を尊敬できなかった、もっと言うなら嫌いな類いだったからだろうか。
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20歳を節目に父親に連絡したのは私だった。祖父母や母からは父親の至らなさは十二分に聞いていたが、思い出が美化されるように、嫌な出来事もどんどん大袈裟に脚色されるなんてことはよくあると思ったし、せっかく生きているのなら一度くらい会ってみてもと思った。ただそれだけだ。それだけの合理的な判断。父親に会って愛情を感じたいとか、そんな可愛げのある理由じゃない。
ホテルのロビーには中年の男性が何人かいた。その中に約束している人がいるのかどうかさえ私には分からない。どうしたものかときょろきょろと眺めていると、ふと頭をぽんぽんと撫でられた。「なつめ」と優しそうに見下ろす目が2つ。それは確かに愛のこもった目だったかもしれない。でも、そうと頭では認識してもどこかで冷静に白々しく考える自分がいる。似てないなと。
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二卵性親子と言われる母と私だが、唯一あまり似ていないのが目だ。とすると父親譲りになるのだろうと思っていたが、実際はいわれてみれば似てないこともないかもという程度。そのくらいなら他人の空似の方がよっぽどが似ている。そのままカフェで私が赤ちゃんの頃の写真を十数枚見せられ、懐かしそうにエピソードを話してくれるが、面影の全くないまだ首も座っていないような頃の写真を持ち出されても、親子の証明になりはしない。
親子として過ごした年月もDNAを感じさせる容姿もない。それなら私は何をもってその人の娘であればいいのだろう。
まあ、仕方ない。血のつながりなんて目に見えるものでも魔法でもない。ただの縛りと口実。
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割り切って今の話を聞いた。仕事のこと、家族のこと、好きなこと。
どれも頑張ってそうではあった。上辺だけ見れば仕事が休みの時にはボランティア、地域貢献に積極的にも参加するよくできた旦那だ。でも、内容を聞くと私には仕事での苦労話やボランティアをする理由が、取ってつけたようなありきたりで出来の悪い言葉のつぎはぎとしか思えなかった。
一言で言うなれば胡散臭い。一度思ってしまえば全てがそう見えてくる。能面のような笑顔。私を見つめるぽっかりあいた2つの穴。
生き別れた父親だからではない。こんな「人」は私の人生にはいらない。
「また会ってくれる?」。優しく笑う目に「はい」と愛想よく答えて、二度と振り返らなかった。私の八方美人は親譲りかもなと1人ごちて、私はその人のいない今日へとずんずん歩いた。