人前で泣いたことは、数える程しかない。その中でも、忘れられない日がある。
それは高校の卒業式。最後のホームルームは、一人ずつクラスメイトに対しメッセージを送りあう時間だった。
名前順に呼ばれ、わたしは最後から4番目だった。先生に促され教卓に立ち、34人のクラスメイトを見渡した。
部活が一緒でたくさんの時間を過ごした背の高い子、悩みを相談しあった一番仲良しの子、文化祭の準備をするなかで喧嘩をして最後まで少し気まずいままだった子、席が近くなることがなくてあまり会話をすることがなかった子、それぞれ密度は違えど思い出があった。

卒業式の日。みんなに泣きながら「しあわせであってほしい」と話した

クラスは小さな社会だ。わたしとは会話をしなかったあの子は、当然誰かにとっては必要な存在であり、みんながみんな、誰かにとって必要だった。

今日、わたしはこのクラスを卒業する。一人一人のこれからを今までのように知ることはない。この世の中で、みんなはどう生きていくんだろう。ほとんどの子は大学に進学することが決まっていたが、みんながその後好きなことや興味を持てることを見つけて就職できる人ばかりではないだろう。例えば家庭環境が変わることも、病気になることも、それぞれ平等に可能性がある。
みんなはどうなっていくだろう。みんなが不自由なく暮らしていけるのか、決して保証はされていない。そう考えると、いつのまにか涙があふれてきた。

「みんながずっとしあわせであってほしいと思います。でもわたし1人では何も出来ないから、社会がいい方向に変わってほしいと思っています。わたしは福祉の道に進んで、わたしなりに、そういった社会作りを頑張ります」と話した。
この頃から自己責任論は吹き荒れていたから、こんな世の中でわたしを含むみんなが生きていくことが、不安でたまらなかった。

それから8年。社会は悪くなっている。誰を頼ればいい?

それから8年が経った。
新型コロナウイルスが流行し、わたしが住む東京は感染者数の増加がとどまることを知らず、先が見えない。
テレビをつけると無差別的な殺傷事件、子供が虐待される事件、妊娠したものの誰にも相談できず赤ちゃんをトイレで産み落とす事件が、連日かのごとく報道される。
スマホを開けば炎上という名のもとに執拗に叩かれる個人と、謝罪のコメントや動画に集まる誹謗中傷を見る。若者の死因は自殺がトップ、ハラスメントや過労、ストレスフル、そんな言葉、何度聞いてきただろう。

職場に行けば、上司は「あいつは親ガチャ成功だな」と笑い、同僚は「みんな死んでしまえば楽なのに」と悪態をついている。友達は毎日終電まで働かされて、「生きる意味ってなんだろうね」と遠くを見ながら言う。

なんて世の中だ。
あの時予感していた「みんながしあわせになれないかもしれない未来」が今の現実だ。
身に起こることすべてが怖いと感じるときがある。生きていてどんな意味があるのだろうと思うときがある。わたしは今こそ、切実に助けを求めている。
わたしは誰を頼ればいい?
心から世の中に絶望し、なぜこんな世の中なのか、誰かに問いたくてたまらない。でも、救世主を待つような話ではないことは分かっている。
誰か一人が変えられるものではない。
誰か一人が動かしていることではないからだ。

偶然と幸運の積み重ねでわたしの今がある。だから不条理は他人事じゃない

わたしが今頼るのは、知識と想像力だ。
むやみやたらに傷つくのではなく、学び、考える力を身に付ける。
制度や法律はなぜ生まれ、どんな歴史があって、先人たちのどんな思いが託され、またどんな思惑があったのか。この社会にはどんな課題があって、どんな人が傷ついていて、どんな人が得をしているのか。
わたしはわたしの力だけで生きてきたわけではない、ただの偶然の積み重ね、幸運の積み重ねがあって、今がある。だからこそ、不条理な仕打ちを受ける人がいたとしたら、それは他人事じゃないのである。
学びを繰り返し、考え続けると社会の仕組みが見えてきて、わたしに出来ることが何なのかも、少しずつ分かってくる。
そしてやっと、生きる気力が沸く。生きる意味を感じる。

今日も、明日も、わたしはたくさん考えて、たくさん学ぶつもりだ。
「こんな世の中だけど、何とか生きていこうよ、一緒に変えていこうよ、沢山話をしようよ」と上司にも、同僚にも、友達にも言える自分でありたい。

「しあわせであってほしいです」と泣きながら話したあの日のこと、わたしが消し去るわけにはいかないんだ。