さすが、知らなかった、すごい…「相槌さしすせそ」のあと2つが何だったか、全く思い出せない。

金曜夜の部署飲み会。うっかり課長の対面に座ったため、マシンガントークの相手をする羽目になってしまった。

普段から自分のことを話し始めると止まらない課長だが、今日は特に勢いが良い。

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枝豆、唐揚げ、焼き鳥の盛り合わせ。パズルのようにお皿が並ぶ。

「もう妻と離婚したいよ。子供が生まれてから、妻は変わっちまってさ。毎日ヒステリックに怒鳴られて参るよ。俺は家事も十分やってるのに。ゴミ出しとか」

ホントですかと受け流しながら、私はハイボールを追加注文した。課長は飲み会のたびに、同じ日本酒を飲みながら離婚したいと言い続けている。もう4年になるだろうか。

何だかんだと理由をつけて、離婚のハードルは高いのだろうと他人事のように思う。

「そういえばサトウさん、ご結婚されたんですか?」同期の女友達の声が飛んできた。

サトウさんは入社当時からお世話になっている先輩だ。30歳、営業、面倒見がよいお兄さんタイプ。趣味やプライベートの話をたまにする程度の仲であったが、恋人がいたという話は初耳だ。

「家族が増えました。今は一緒に住んでます」左手の指輪を掲げるサトウさん。温かい拍手が広がる。

「サトウは良いパパになりそうだな。離婚の相談なら乗るぞ」課長が茶々を入れる。

一瞬サトウさんの顔がひきつった。課長はなぜこうもデリカシーがないのだろう。

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 一次会が終わってから、同期とサトウさんと別のイタリアンバルに入った。パスタを巻くサトウさんの薬指にどうしても目が吸い寄せられる。

私が「ご結婚おめでとうございます」と言うが早いか、「彼女いらしたんですね、知りませんでしたー」恋バナ好きの同期が切り込んだ。サトウさんが深呼吸した。

「まあ…君たちには言うけど、僕のパートナーは彼女じゃなく、彼氏だったんだ」

やっぱりか。薄々気づいていた私と対照的に、同期は驚いているようだ。エビを突き刺したフォークが口の手前で止まっている。

「日本では同性婚ができないけど、家族になることはできるんだよ」サトウさんはゆったりと話を続ける。

「同性パートナーシップ制度ですか? 確か同性カップル向けに、渋谷区が導入したとか」

サトウさんは首を左右に振った。ワイングラスの壁面に、銀色の指輪がうっすら反射している。

「それも考えたけど、同性パートナーの立場はすごく弱い。相手が死んでも相続人になれないとか、相手の手術や入院の時に同意書を書けないとか、結婚していないってだけで制限が色々ある」

私は神妙にうなずく。聞いたことがあった。長く連れ添ったパートナーが入院し、一度も面会できないケース。葬式で親族に遺産狙いと思われ暴言を吐かれるケース。

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 「僕さ、彼と家族になりたかったんだよね。家族になって、彼が健康な時も病気の時もいちばん近くにいたかった。かといって、同性婚OKの国に籍を移すのはハードルが高すぎるだろ」

 ペンダントライトに照らされ、サトウさんの瞳がろうそくのように揺れる。たくさんの客がいるはずなのに、このテーブルの周りだけ、雪が降り積もっているように静かだ。

「だから養子縁組をして、僕と彼は法律上の親子になった。苗字も同じ、戸籍も同じ。こうすると制限は格段に減る。同意書にもサインできる。別の大きな問題が浮上するけどね」

「どういうことですか」同期と私が一度に問いかける。 サトウさんがグラスを傾けると、赤い液体が一気に流れ、喉仏がぐっと動くのが見えた。

「今後、同性婚が法で認められても、僕と彼は絶対に結婚できない」

「日本では直系血族、いわゆる子供や孫との結婚はできないんだ。そして直系血族には『法律上の親子関係も含む』とされていて、養子縁組解消後も同じだ」

サトウさんはワインを勢いよく注いだ。グラスの縁から赤いしぶきが飛び出しかけて、なんとかこぼれずに収まる。

「課長の愚痴を聞いて、正直モヤモヤするよ。離婚したいって文句を言えるのは、障害なく結婚できた人の特権だ。悩みを否定するつもりはないけどね」

私も同期も、すぐに言葉を発することができなかった。透明な指で舌を掴まれているようだ。

永遠の愛を誓って結婚した二人が、たった数年後に離婚に踏み切る。愛しあう二人が家族になり互いを守るため、結婚という選択肢を永久に捨て去る。

結婚とはなんと皮肉で、ままならないシステムなのだろう。

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「ご家族の写真、見せていただけませんか」私は言葉を絞り出す。「旦那さん」でも「彼氏さん」でもなく、ご家族の写真と言うしかないと思った。

サトウさんのスマホ画面に広がる、知らない青年とのツーショット。お揃いのピアスを片耳ずつ付けている。

エメラルドグリーンの海を背景に、手を繋いで笑っている二人。伝染するように私の口角もゆるんだ。「爽やかな方ですね」と言うと、サトウさんは照れたように指輪を右手でなぞった。

「すっごくお似合いです! ていうかこれどこの海ですか? えっ、バリ? ちょうど私も行こうか迷っててー」同期が普段どおりの恋バナモードに戻った。張りつめていた空気がいっぺんに和らいだ。

シングル、結婚、離婚、事実婚に養子縁組。今後法律が変われば、家族に関する選択肢がもっと広がるかもしれない。これからの人生で、私が経験するのはどれだろう。

赤ワインの瓶が空になった。メニューには飲んだことのない銘柄がまだたくさんある。結婚観や仕事観について熱く語りながら、私たちの夜は更けていった。

Fin.