夜がこわくて、疎遠になってしまったのはいつからだったろう。
どこかに出かけて家族や友人と一緒に歩いていても、なんとなく早く家に帰って安心したい気持ちが必ずある。一人で歩くなんてとても考えられない。
コロナ禍になり自宅で仕事をするように。夜、出歩くことがなくなった
一つ思い当たる理由があるとすれば、コロナ禍になって毎日自宅で仕事をするようになったことだ。同じように夜遅くまで出歩くきっかけになる飲み会もない。ここ3年間、一人で夜出歩くことから、あまりに遠ざかりすぎたのかもしれない。
しかし、きっとそれだけの理由じゃないこともわかっている。
夜寝るとき、ほとんどは疲れててそのまますぐ眠りにつけるのだが、ふと漠然とした不安に襲われてしばらく眠れなくなることがある。無理やり寝ようとすればするほど、良くないことばかり浮かんできて余計に寝れなくなる。
今がこの上なくしあわせであるがゆえに、いつか失うんじゃないか、奪われてしまうんじゃないかと不安になるのだ。
遅くまで続く飲み会やドライブ。大学時代は夜と仲が良かった
大学生の頃は、どちらかといえば夜と仲が良かった。
店が閉まっても公園で延々と続く友だちとの飲み会や、軽音楽サークルの仲間と深夜にスタジオで練習した流れで食べて帰る明け方のラーメンなど、ほぼ毎日夜に活動していた。
特に何かと仲の良かった男友達と、ふらっと深夜ドライブに出かけるのが好きだった。信じてもらえないことのほうが多いが、恋愛感情はまったくない。適度にお互いの近況を報告しあって、困っているときは助け合う、ほんとうの友達。
たいてい日付を越える少し前くらいに、「ドライブ行こうぜ」と連絡が来る。たぶんよくある友だち間の「飲みに行こう」と同じようなものだ。
もちろん、すぐに準備して出れる状況じゃないときは行かないが、たしかほとんど断らず誘いに乗っていた。
ある意味、大学生らしくて今よりずっと若かったのだと思う。
行先はだいたい山か海で、大学から距離の近い山に行くことが多かった。先にコンビニで缶コーヒーを買って飲みながら、道中はたわいもない話をする。
暴走族がときどき集会している以外は、ほとんど車通りもない山道を淡々と登っていくと、あっという間に森らしい景色に変わる。自然が豊かなのでうさぎやイノシシなどの動物に遭遇することもあったが、それはそれで楽しかった。
ほどよいところで車を停めて降りると、澄んだ空気が包んでくれる。壊れそうな柵からまちを見下ろすと、田舎ながら見事な夜景が広がっていて、とても綺麗だった。
夏はぱらぱらと見える車のヘッドライトの明かりを眺めたり、蛙の合唱に耳を傾けたりしながら、互いに何も語らず各々過ごしていた。深夜に出歩いていることなど微塵も気にならなくて、むしろ誰にも邪魔されない自分の時間が嬉しかった。
大人になった今、守っていきたいものを知って夜がこわくなった
あの頃は、たぶん何もこわくなかった。それなりに充実していたと思うし、大切なものもあったと思う。
ただ、大人になった今と違って、人生をかけて守っていきたいと思えるものも、いま生きてるこの瞬間が永遠に約束されてはいないことも、まだ知らなかっただけなのかもしれない。
無邪気に青春していた大学生の頃のわたしも、しあわせであるがゆえに夜がこわくなった今のわたしも、どちらも自分であることに間違いはないが、いつかまた以前のように夜と仲良くなれる日がきたらいいなと思う。