「ありがとう、さようなら」

ありふれたラブソングにでも出てきそうな、そんな簡単なひとことが、ちゃんと言えなかった。そしてそれを伝える機会は、もう二度と訪れない。

時の流れの感じ方は、年を取るにつれてだんだん早くなる。ちょうど今くらいの季節に母方の祖父が亡くなってから12年。私もそんな俗説につい頷いてしまう年齢になった。

祖父は丈夫な人だった。病気がかなり進行した状態で見つかってから、私たち親族が覚悟していたよりもずっと、主治医に「スーパーおじいちゃんですね!」と驚かれるほど長く、生きていてくれた。何度も入院しては復活して、元気な姿を見せてくれた。

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それなのに、か。
だからこそ、か。

どちらだったのかは未だに分からないけれど、私は祖父に、ちゃんとさよならを伝えられなかった。そう思っている。

当時の私は、近しい人の死というものを体験したことがなかった。母と一緒によくお見舞いにも行っていて、少しずつ弱っていく祖父の姿を見ていたはずだが、そのことから目を逸らしていたというか、きちんと理解できていなかったように思う。

もう充分、人と対話ができる年齢だったのに、祖父と話したことは何一つ思い出せない。記憶に残るほどの内容を話すことはなかった。避けていたのかもしれない。いつもへらへらとおどけて見せては、祖父の所望する新聞を、院内の売店までそそくさと買いに行っていたのを覚えている。

全く突然ではなく祖父が亡くなった日も、母や叔母が泣きながらベッドにすがりついている中で、私はぼんやりと立っているだけだった。そのくせ、今この原稿を書きながらぼろぼろ泣いているのだから、後悔先に立たずとはよく言ったものである。古傷は寒い時期になおさら痛むのかもしれない。

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私は葬儀が終わるまで、ひと粒の涙さえ流さなかった。ただ淡々と、遺族の役割を大人しくこなした。棺に花を入れるとき、「じいじありがとう」と口にした記憶はあるが、それは孫が言うべき台詞として言っただけのもので、心からの送る言葉ではなかった。やっぱり、死というものをよく分かっていなかったと思う。

ようやく悲しむことができたのは、葬儀をつつがなく終えて1週間ほど経った頃だった。

夢に、祖父が出てきたのだ。

詳細は覚えていない。でも、祖父は私を抱きしめてくれて、私はそのとき初めて、心からの「ありがとう、さようなら」を伝えた。短い夢だった。

でも、触ったことがないはずの、痩せて骨ばった身体の感触を今でも鮮明に思い出せる。さよならを伝えそびれたバカな私のところに、優しい祖父の方から出向いてくれたんだと信じている。

同時に、夢の中の出来事は、遅れてやってきた私の願望を映し出したのだということも理解している。

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翌朝目が覚めた私は、初めて祖父の死に涙した。

「さよなら」はただの単語だけれど、それを伝えるとなると、そこには色々な意味が含まれている。故人に対してであれば、思い切り悲しむことや、生前の感謝や想いを伝えておくことも、その重要な意味のひとつだと思う。心の準備期間はあったはずなのに、私はそれをしなかった。遠方に住んでいるわけでもなかった。日頃からもっと話しておけばと何度思ったか分からない。

私と同じような後悔を持つ人はたくさんいる。それでもエッセイとして改めて書き起こしたのは、もう二度とそんな思いをしたくないし、今生きてくれている大切な人たちとの間にも、いつかは別れが来ることをつい忘れそうになるからだ。

祖父は私に、大切なことを教えてくれた。死は誰にでも訪れるものだから、そこに意味を見出すのは残された者の願望だ。でもそう思いたいし、私は私の大切な人たちに、精一杯の愛と感謝を伝えながら生きていこうと、この季節がやってくるたびに思うのである。