私は姉に幸せになってほしい。というより、幸せになってくれなきゃ困る。昔から、姉はそれなりに賢く、それなりに顔がよく、二重で、やたらと友達が多かった。私はというと、運動と勉強はまあまあできた方ではあったが、同じ親から生まれたはずなのになぜか一重になってしまったし、根暗が故に友達は多くない。

様々な要因はあるが、我々の自己肯定感を大きく分けたのはピアノだったのではないかと思う。かなり勝手な考えではあるのだが、私が育ったのはドがギリギリつかないぐらいの田舎で、「ピアノ弾く女の子=可愛い+女らしい」みたいな観念があった気がする。大概の老世代に姉はピアノを習っていることだけでも褒められていた。実際、姉はピアノの腕はそれなりにあったんだと思う。名前も権威も知らない賞のトロフィーを何個も持っていたし、姉と同じピアノ教室に通っていた子になぜか私が羨まれたこともあった。コンクールに連れられていったこともあったが、知らない曲を延々聞かされていつ姉が出てきたのかもわからず、帰り道にトロフィーを携えた姉と回転寿司に行き、遠慮がちにいくら軍艦を食べたということだけは覚えている。

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割と早い段階で周囲の興味は姉に集中していると気付いていた。明らかな区別をされたとか、比較を用いた説教をされたとかそういうわけではないのだが、両親は一段階上の厳しさで姉には接していたし、親戚が集まった時も姉への質問の方が多かった。私にはというと、捻り出された学校は楽しいかという問いに「まあ、はい」と答え、よかったねで終わることが多かった。話題と愛想のない女で誠に申し訳ない。じゃあ自分もピアノを始めればよかったのかといえばそれもきっと違う。その時よりも比較の目が厳しくなるだけだし、現代の感覚では通報されそうな指導を姉は受けていたので、それに耐える自信は私にはなかった。ちょっとマイナーなスポーツを始めでもすればキャラ立ちができるかと思い始めてはみたものの、親戚をはじめとした人々に、自分の始めたスポーツの名前すら覚えられたことはなかった。

コンプレックス丸出しの追想を書き連ねておいて説得力はないかもしれないが、私は姉を羨ましいと思ったことは一度もない。なんなら我が家の看板として生きる姉を可哀想だなとさえ思っていた。私たち姉妹がレコードだとして、姉はA面で大衆にウケるように創られている。私はB面なのだから自分の生きたいように生きられる。誰もが知っている大企業に勤め、休日には彼氏と流行りのカフェに行き、恥ずかしげもなく流行りの映画を見にいくことができる姉にはわかりやすく幸せになって欲しかった。そのおかげで理系の大学院で、男に相手にもされず研究室に籠り、ラジオを聞きながら寝る日々が映えるものになると思っていた。

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しかしながら、今年の正月帰省したときに姉が彼氏と別れたことを聞かされた。内情は詳しく知らないが、姉が東京に転勤になったことで距離ができてしまったことが原因らしい。「木綿のハンカチーフ」の逆バージョンみたいなことが起きるなんて時代は変わったなあと思ったのだが、何年か同棲もしていて、てっきり結婚して幸せになると思っていた姉が都会に当てられて帰ってきた。姉の元彼氏は背が高く、友達が多く、二重で、文化祭で堂々とNON STYLEの漫才とかをやりそうないけすかない男だったが、そこはいいとして、もうアラサーの姉が田舎にわかりにくい幸せを求めるようになってしまったことは非常に困る。姉は我が家のA面でなければいけないのに。意外と両親はケロッと「あ、そうなの」とだけ言っていた。

もやもやとした気持ちを抱えながら帰省から戻り、数日考えて私は気付いた。なんだ、可哀想とか思っておきながら一番姉に期待してたのは私じゃないか。思えば高校まで私は姉が舗装してくれた道をのこのこ歩いてきただけだった。姉と同じ塾に通い、姉と同じ高校を受け、心のどこかで姉に出来たことだからと思っていたのだろう。全然姉と違う道を歩もうとなんかしてなかった。両親すら大して気にしていなかったのに、私が同情するふりして一番姉の幸せに執着していた。とんだ大シスコンだ私は。

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今度姉に会うときにはちゃんと幸せになってほしいと伝えようと思った。それで姉に対する期待との訣別ができるような気がする。私も就職するし、次会うのはお盆とかになるのかな。ただ私はひねくれ者だから面と向かったら多分正直に言えない。「もしもピアノが弾けたならあんたみたいな陽キャになってたかな」なんて悪態をついてしまうだろう。ご存知の通り私はそういう人間だから。本音は裏返して聞いてほしい。