「さよなら」と言ってしまえば、私たちの関係は簡単に終わってしまうことを、私たちはなんとなく自覚していた。それが、大学三年生の秋ごろのことだった。

私には当時、付き合っていたパートナーがいた。戸籍上では同性同士だったから、なんとなく周囲の人にも言いづらくて同じ大学にいながらもひっそりと付き合いを続けていた。初めは彼からの告白で、そのときにはもう私は彼のことが気になっていたから、まるで夢のような出来事だと思って付き合いが始まった。それが大学一年生の頃。私たちは大っぴらに恋人がいることを告げてはいなかったかけれど、それなりに楽しい毎日を過ごしていた。二人で出かけることをデートと呼んだり、学校帰りにバスには乗らず二人並んで歩いて帰ったり。ごく一般的で、仲の良いカップルだったと今でも思う。

◎          ◎

けれど、大学三年生のとき少しずつ色んな変化が起きた。
まずは、私の体調の変化。パニック発作を繰り返すようになっていたのは気づいていたが、そこからストンと気分が落ち込みメンタルクリニックで診察をしてもらった。気分の波が大きい双極性障害とのことだった。自分の体に変化が起きていることはなんとなくわかっていたから、病名が付いただけでひどく動揺することはなかった。けれど、一方で病名がついたところで、この症状がきれいさっぱり消えることもない。私の体調はゆっくりと確実に悪くなっていった。

それから、彼周辺の人間関係の変化。彼はサークルに所属しており学園祭では出し物をすると言っていた。私は応援していたし、当日は趣味であるカメラをもって発表を見に行くことを伝えていた。彼は喜んでくれていたけど、ここで初めて世界は私たちだけで回っているわけではないことを痛感する。彼が、出し物の練習で遅くまで校内に残っていたから、自分の体調が良いときは一緒に残っていた。すると彼がどれだけ後輩たちに慕われているかがわかった。私と彼は恋人であることを公表していない。だから、彼の周りに可愛い女の子たちがたくさん集まってくる。私はただ、それを見ることしかできなかったし、彼も人の厚意を無下にできなかった。

◎          ◎

学園祭当日。私は彼に伝えた通りにカメラをもって出し物を見に来た。正直具合はあまりよくなかったから、彼の出し物と頼まれていた別のサークルの写真を撮ったらすぐに帰ろうと思っていた。本当は今すぐにでもベッドで横になりたいくらいだったのだが、仕方がないと自分に言い聞かせていたときだった。彼の出し物が終わり、次のサークルに移動しようとしたとき、声をかけられた。「すみません、写真撮ってください」。声をかけられたのであれば振り返って「もちろんですよ」と答える。でも、私はそのことを一等後悔した。女の子と腕を組んだ自分の恋人がそこにいたから。彼は単純にサークル仲間としか彼女のことを思っていないのだとわかっていた。だから苦しかった。私みたいにあなたのことを好きになってしまう人がいるかもしれないのに。あなたは十分魅力的なのに。私はそうやってあなたの隣に立てないのに。泣きたくなる気持ちで、シャッターを切ったのを覚えている。

この頃からだろうか、私たちの関係はじわり、じわり、と変化した。なんとなくどちらかが「さようなら」「別れよう」と、そう言ったら簡単に離れていきそうなくらいだった。でも、私から、さようならは言えなかった。自分は病気で彼のことを幸せにできないかもしれないくせに。彼の優しさを理解できないくらい心が狭い女なのに。彼を自由にはしてあげられなかった。どうしても、放したくなかった。好きで、すきで、仕方がなかったから。

◎          ◎

数年経ち、私の病状もそして心の狭さも少し改善してきたときに、彼に聞いてみたことがある。「あのとき、さよならと言っていたら別れていた?」と。彼はすぐに「あの時」を理解をして「別れていた」と言った。理由は、私がすごく辛そうだったからだそうだ。どこまでも優しい彼に甘えて私はずっと、ずっとそばにいた。

そんな彼とはつい一年前、あのときできなかったお別れをした。でも何故だか「さようなら」は言えなかった。彼もその言葉は使わなかった。お互いに嫌いではなかったからだろう。この曖昧な細い糸がいつか切れるときは、「さようなら」はなくて自然と知らず知らずのうちに「思い出」という形で切れているのかもしれない。