高校時代の恋愛を引きずっているなんて、私は重い女なのだろうか。大学に進学する春、私はその当時付き合っていた彼と別れた。
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やり直したいとは思わない。彼との思い出は高校時代のものだけで十分だ。ではなぜ、何年も経っているのに引きずっているのか。それは、別れ方が心残りだったからだと思う。
受験期後半から、私たちの仲はだんだん冷めていったように思う。そのことに「受験」が関係していたかは正直わからない。価値観のズレ、小さなイライラが積み重なっていて、お互いに「潮時かな」と思っていた。ケンカ別れではなかったけど、円満な別れでもなかったと思う。怒りはせずとも、二人ともイライラしながら別れ話をした。
「円満じゃない別れだったから、あの春に戻ってやり直したい」というわけではない。あの時の私たちには、あの別れ方しかなかったと思う。私があの春に戻りたいと思うのは、別れ話の時の自分の発言が許せないからだ。
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「私とまだ付き合っていたいと思う?」
これが、私が許せない私自身の言葉。私の中で別れたい気持ちが募っていて、別れる以外の選択肢はないことを自覚しているのに、最後の決断を彼に委ねる言い方。彼が別れたくないと言うことを期待していたのか、自分で決定打を打つことが怖くて逃げたのか。その当時自分がどういう思いだったのかは思い出せないけれど、どのような思いにせよ、保険をかけているかのような言い方が気持ち悪い。決定打を彼に打たせることによって、私は「振られた」立場になる。傷ついてもいい、悲しんでもいいという理由ができる。相手を「振って傷つけた」という痛みや罪悪感から逃げることができる。自分が傷つかないように必死で予防線を張っている。
彼と別れて数年経ってから、そのような自分のズルさに気づき愕然とした。傷つく覚悟も傷つける覚悟もない、幼くて弱い自分がどうしようもなく恥ずかしかった。自分のことなんだから、自分で決めなよ。自分の言葉で言いなよ。あの時の自分に会えるならそう言いたい。
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そんな後悔があるからか、春が来る度に彼のことを思い出す。私と別れた次の春に、彼には新しい彼女がいることを、共通の友人づてに聞いた。ああ、彼は前に進んでいる。私と別れる決断を自分でして、自分の言葉で私を振った。そして他の子と付き合うことを決めた。私はというと、彼と別れて以来、恋人はいない。「自分で決めなかった」という現実が、今もまだ私の心のどこかに引っかかっている。
別に次の恋人ができることが「前に進んでいる」という証明ではないけれど、新しく人に出会うこと、人を好きになることに臆病になってしまっている自分がいる。どう頑張ってもあの春には戻れないのだから、その後悔を糧にするしかないことはわかっている。わかっているが、簡単ではない。私はまだ、人に傷つけられるのも、人を傷つけるのも怖い。それでも、あの春を昇華する私にならなければ。それが、この春の私の決意。