最近、大学でも生成AIであるChatGPTの話をよく耳にするようになった。
ChatGPTを初めて聞いた私の心境は、それはそれはよくわからないものだった。
「ChatGDP…?国内総生産?それともGPA?成績評価じゃないよなぁ…」
脳内で繰り広げられるアルファベット変換。私の脳内はハテナだらけだった。
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聞くところによると、ChatGPTは言葉の説明や文章の要約ができるらしい。無料で使えるし、対話型なので人間味があるとの評価もあった。
でも、ChatGPTが登場した頃、大学の先生は複雑な顔をしていた。
「ChatGPTが登場したことによって、私の研究はいらなくなるのではないか…」と。
先生は文献調査に関する論文を執筆していた。しかし、ChatGPTはインターネット上のありとあらゆる情報を得ることができる。人間が探しきれなかった文献をChatGPTは即座に入手できるかもしれないのだ。しかも、要約付きで。
「今までは文献調査を時間をかけてやっていたけれど、ChatGPTが登場した今、どうしたものか…」
うーん…と唸る先生を見るのは初めてだった。
地道に人の手で調べてきたものを、ChatGPTは即座に調べることができる。でも、ChatGPTによって導き出された結果が全て正しいとは限らない。インターネットの偽情報でも、まるで本当のことのように書かれている場合がある。その情報を精査することができるのが人間なのかもしれない。しかし、人間も失敗することがある。
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人間にもAIにも失敗することがあるのだ。この点はどう頑張ったとしても修正することは極めて難しいのかもしれない。
もう一つ、大学の先生がボソッといっていたことがある。学生がChatGPTを使ってレポートを書いてきた場合だ。
「大学教員の知識を侮ってもらっては困る。レポートを見れば剽窃かどうかはすぐ分かるから。文章の書き方とか、引用の仕方とか、内容で大体判断できる」
先生の言うことは頭がもげるほど理解できる。学問の道を数十年続けているベテランだ。学生が知識だけをコピペして作った文章など、一瞬で見分けられるのだ。
「…でも、これからますます情報の精度があがったら、区別できなくなるかもしれないな」
先生はまた、暗い顔をした。
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実際に同じ塾講師仲間が「ChatGPTを使ってレポートを書いたんすよ〜」と自慢げに話していたことがある。
「拙かったとしても自分で文章を書かないと…剽窃だって言われたら退学になるかもしれないよ」と私は釘を差したが、相手にどこまで伝わっているのかは分からない。
学問の在り方が徐々に変化してきているのが分かる。それに、学業に対する学生の態度も変わってきている。
学問なんてどうでもいいと思っているのだろうか。
私の高校時代の友人がこう言っていた。
「俺は大卒という資格を取るために大学に行くだけだよ」
私はこの言葉にショックを受けた。友人は4年間大学へ通って、大卒の資格さえ取れればそれで良いと考えていた。
私は大学で学びたいことがあった。だからこそ、たくさんの先生の講義を受け、話を聞き、関連する本も読んだ。それが私の学問だった。
私と友人は根本的に考え方が違っていただけかもしれないけれど、生成AIと共生している今の私達はどうだろうか。
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学問に対する向き合い方は人それぞれだけれど、AIによって学問に向き合う態度がさらに変化してしまったのではないか。
「バレなければいいや」
「レポートはこんなんでもいいでしょ」
「ChatGPTなら時短できるから助かる〜」
このような安易な気持ちで学問に向き合う人々が今後増えていくのではないか。
私が今まで想像していた以上のことが起こっている。
この状況にどう対応したらいいのか、私はまだ分からずにいる。