SNSを見ることは好きだけれど、「いいね」の数を競い合うような投稿はなるべくしないことを私はモットーにしている。

特にインスタグラムその人にとって投稿されたくない写真が、身近にいる友人などによって無許可で投稿され拡散していることも多い。隠すというよりも、あまり知られたくない・知りたくない情報や素顔が出回ってしまうこともあるSNSは、スリリングありながらも日常に一定の豊かさを与えてくれる。

その反面、少しだけ期待を裏切られたような写真をインスタグラムで目にしたとき、私スマホから手を放SNSから離れるというのは、今となっては不自然な行動かもしれない。それでも、そんな何気ない瞬間を一日のうちに数分でも確保することが大事である。

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「いいね」の数が多い投稿が、確実に「いい投稿」だとは限らない。

もし仮に恋人が長年親しい異性の友達と隠れて遊んでいたのをSNSで知ったとき、私は「見つけてしまいましたよ」という意味で「いいね」したい。実際に、そんなことする機会は全くない、いざとなると見つけてしまった自分のほうが情けなくなって、何もできないとも思ったりするのだろうけれど

誰がどこで見ているかわからないSNS。忙しない日常のなかで、「楽しいこと」を切り取って投稿できるSNSには、理想の人生があふれている。そうやって見ている人に向けて「理想の人生」を演出するのもインスタグラムというSNSの大きな役割でもあり、使命なのだと考えたりもする。

逆に「本当に素敵で、SNSではなくて実際に対面しているような美しさ」を感じたときは、「いいね」することを忘れてしまう。それくらい、投稿にうっとりする時間も必要なのだ。

どんどんあふれ出てくる投稿をひとつひとつ辿って「いいね」することが流れ作業となってしまったようにも感じる今。そんなときだからこそ、「いいね」を忘れるくらい素敵だと思える投稿には、あえて「いいね」しないほうが、心からの「いいね」が伝わったりするのかもしれない。

投稿のページを見るだけで、その人の生活や趣味、交友関係などがイメージできるSNSにはまだ出会ったことはない。もしそんな人間味のあるSNSに出会えたとき、私は今度こそ「いいね」の機能さえ忘れると思う。

心の底から「いいね」って思えたら、直接本人に伝えてみたい。それから、その人と同じ空間にいることがSNSの一ページを飾る瞬間になれば幸せだなと、妄想を膨らませているところだ。

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ただの日記ではなく自分をどう演出するかが求められるともいうべきSNS。そこには投稿する人だけでなく、見る人にも大きな責任があるのだと思い知らされる。そして「いいね」の数に惑わされずに、気づけば過去の投稿までさかのぼって見てしまうくらい惹きつけられるような投稿に、早く出会いたい。

「いいね」の機能を鬱陶しく感じてしまう投稿もある。それでも、投稿を見るだけでその人と一番近くでいる気持ちにさせてもらい、日常のちょっとした幸せをシェアしている感覚になれるSNSは、最高で最幸だ。

毎日、いろんな情報を収集できて人と気軽に時には会うよりも密接に繋がることもできるSNSには、個性があふれ出ている。そんな一種のコミュニティーを確立しつつあるSNSだからこそ、どの投稿に「いいね」するかしないかを、自分のなかでこっそり決めておくのも良いかもしれない。

そうすると、きっと一回きりの「いいね」が楽しくなるし、何度も「いいね」したくなる。すごく素敵で、何度も見返す投稿には、一人につき十回くらい「いいね」できる機能をアップデートしてほしい。見る人に対して「いいね」したい意志を尊重することが必要であるとともに、SNSで巻き起こる「日常の幸せ」は、無限大なのだ。