子どもの頃から「変なの」と言われることが多かった。ランドセルの色は水色。昼休みは誰もいない教室で一人読書。周りから「変なの」と言われる度に、「これは変なんだ」と1つ1つ頭のメモに書き留め、振る舞い方を変えた。学校生活や様々なバイト先での経験から、社会で広く通用する愛嬌の良さや、人の話のうまい聞き方を身に付けていった。だからか、第一印象は良いようで、面接はうまくいくことが多い。ただ、実際に働き始めたり、人との深い付き合いを始めたりすると、途端にごまかしきれない「変なところ」が表に出る。

特に、自分が将来やりたいと思っている事を正直に伝えると「なんかすごいね」と一歩引かれる。もちろん好意的に捉えてくれる人もいる。しかし、少し伝え方を間違えると、相手との心の距離が一瞬で開く。空気や表情からそれがすぐにわかる。距離を取られる度に自分の心はズキッと痛み、「仲良くなりたかったのに、またやってしまった」と落ち込む。

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自分にはどうしても叶えたい目標がある。18歳の時に「これだ!」と思って以来、私はある1つの事に夢中で、一番星のように光るその目標のために大学も就職も選んできた。そんな私を見て周りの人は「自分の好きなことに真っ直ぐですごい」「自分のやりたい事を続けている」といった言葉をかけてくれる。それに対して自分は照れ笑いをしつつ、心の中では「これしかできないから、やっているだけ」と悶々とする。

有難い言葉を素直に受け止められず、なぜ自分は、自分の生き方は特別褒められるようなことではないと感じるのだろうと、ずっと考えてきた。ある時、自分の中には2人いるんだと思い至った。1人は、好きなことに真っ直ぐで、じゃじゃ馬のような子どもの私。もう1人は、仕方がないという気持ちで、じゃじゃ馬の先回りをし、彼女が行きたがる道なき道の草を刈り取り、タイルを1枚1枚土の上に置く、大人の私。大人の私は、道のないところに道をつくりながら、転ぶかもしれない、落とし穴にはまるかもしれないと心配は尽きない。それでも子どもの私の勢いに押されるがまま進む。

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最近、転職の決断をした。将来の目標に近づくにはそうした方が良いと思ったからだった。結局自分は、子どもの私に引っ張られる生き方しかできないのだ。その生き方に対して、自分自身は、ポジティブでもネガティブでもない。自分はこの生き方しかできないと思っている。

ただ、同時に「周りの人たちがこれで良いと言ってくれるから良いか」とかなり明るく受け止められる自分もいる。以前、1つ上の先輩に、先の見えない生き方のままで良いのかと不安に思う気持ちを正直に打ち明けた。先輩は「あなたの周りにいる人たちは、あなたが好きなことをしていない方が悲しむと思う」と返してくれた。重い体をふわっと持ち上げてもらった感覚だった。そう言ってくれる人がいるなら、このままで良いかと気が楽になった。

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子どもの頃は、周りとの関係の中で不自由さを感じ、周りに受け入れてもらうための技術を身に付け、自分の性格を不自然に隠すこともした。頭のメモは、変に思われない振る舞い方や技でいっぱいだった。今思うと、周りに合わせるために自分で殺してしまった自分の個性がたくさんあったと思う。しかし、最近は、周りの人に活かしてもらっていると感じる。心のメモには、友人、先輩、後輩、親、いろいろな人から背中を押してもらった言葉がいくつも残っている。周りに肯定してくれる人がいなかったら、自分は自分に対してこんなに大きく構えられなかった。子どもの私と大人の私は付き合うのが大変だが、私にはこれしかできないので、このまま明日も行こうと思う。