私は、さよならを言われるのがあまり得意ではない。苦手とまでは行かないが、できれば何もなくいつも通りに過ごしたいものだ。
そんな思いから、自分が今の場所を離れるときには、どうしたらさよならの機会を減らせるかを考えて行動してしまう。これから話すのは、私が大学を卒業して上京するときの話。当時の私が考えた、誰にもさよならを言わせないスケジュールとともに、ぜひ笑ってほしいものだ。
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私には、大学に入ったときから決めていたことがある。それは、関東に行って就職をすることだ。関東は、自分にとって憧れの場所であり、特に東京で働くことに夢を持っていた。大学3年生になると、地元のインターンや合同説明会には参加するものの、東京や神奈川などで開かれている合同説明会にも積極的に参加した。
就職試験を受けるとき、関東の受付が早く、地元のエントリーは関東の合否が出てから募集という場所も少なくなかった。私はとりあえず関東の就職試験を受けることにした。とはいえ、ただ関東に行きたいという漠然な思い。やりたいことを明確に話せる程ではなかったので、最初に受けたところは不合格だった。
その後、対策を練り、2つ目の試験に臨んだ。対策をしていたので、ある程度順調に進んでいる手応えを感じた。結果は合格。夢であった関東に就職を決めたのだった。大学4年生となり、卒業後の進路も決まり、学校での単位も順調に取得していた私。就職の準備も着実に進んでおり、就職先に提出する書類などを書いては郵送するなど準備に追われていた。
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卒業後は、職場の寮に入ろうと考えていたので、入寮の準備も進めていた。卒業と就職が間近に迫ったとき、入寮の日を決める書類が届いた。いつにしようかと考えていたとき思いついたのが、卒業式の次の日に地元を離れてしまおうという計画だった。
3月は、友達と遊ぶ機会も多いので、ただでさえハードスケジュールだ。その上引っ越しの準備が重なり、毎日何かしらに追われていた。決めたのは、3月の中頃。いくつも候補日があったなかで、早いほうが引っ越しもスムーズに行くだろうと考えた結果、中頃という日程を決めた。
もう少し地元でゆっくりしてから引っ越せばいいのに、と親には言われたが、夢であった関東での生活を少しでも楽しみたくて仕方がなかった私は、聞く耳を持たなかった。この日程を決めたことは、ほとんど誰にも言っていない。大学の友人も、おそらく知らなかったであろう。伝えた記憶はない。唯一、3月に遊んだ高校時代からの友人には伝えたかもしれない。忙しいね、なんて話をしていた記憶が、かすかに残っている。
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地元でお世話になった人から、引っ越す前に会いたいと言われた。まさに避けていたことだ。すでに引っ越したときだったので、さすがに会えないと伝えて終了した。
向こうでも頑張ってね。
そう言われるだけなのに、なぜ食事や遊びを兼ねて時間を取らなければ行けないのだろう、と当時の私は思っていた。優しさや成長を見届けてきた人としてのせめても何かだったのかもしれない。
しかし、私には必要なかった。さよならを言えなかったことは確かである。薄情な人ともとれる。別に捉えてもらって構わない。今でも、さよならを言う機会は苦手だ。どうしてもどこかを離れるときにさよならが言いづらい。送別会なんてもってのほかである。引っ越すとき、私はほとんど誰にもさよならを言っていない。駅まで見送ってくれた親にしか言ってないかもしれない。それでも私は、これで良かったと思っている。
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さよならを直接言うための機会を設けるよりも、心のなかで、頑張れ、と思ってくれたほうが、思いがこもっていると思うからだ。会えたらラッキーなこと。見送る方も、見送られる方も、どちらも前を向けるだろう。
私が街を離れるとき、さよならを言わないようにタイトなスケジュールを組み、わざわざ逃げるように上京した。関東での生活を楽しみにする気持ち以上に恥ずかしさもあった。しかし、過密なスケジュールをこなし終え、新居でソファーにダイブしたあのときの達成感は大きかった。これでよかったのだと、体感できた気がした。