「結婚ってどう思う?」。したい。そりゃしたい。
なんでかって?それが女の幸せなんでしょ。
そう思って生きてきた四半世紀。結婚を考えるどころか御相手と出会うことすら叶わぬまま、所謂年齢イコール御相手いない歴。みたいな。
SNSに溢れる幸せそうな同級生達。じゃあ私は幸せじゃないの?どうなんだろうね、結局。
いつの間にか女になり母になった友人と私、果たして何が違かったのか
いつだって馬鹿なことばかりしていたはずの友人たちが、いつの間にか女になって母になった。当時は彼女と私の間に差なんてなくて、同じ教室で勉強し、部活をし、買い物をした。特別出会いがあったとかそんな様子は微塵もなかった。
それなのに、母となった彼女を画面越しに見るだけの私と渦中の彼女。果たして何が違かったのか。そもそも人生に正解とかそういうの、ないはずなんだけどなって自分を正当化するけど結局は羨ましいの一言。
幼少期から子どもという神秘的な存在が好きで、我が子を抱くためだけに結婚を考えているあたり、多分そもそも恋愛に向いてないんだって自己分析をする。
メールの返信は面倒で、前もってデートの予定を入れるのは億劫。でも私のことをほっとかないで欲しい。今、迎えに来て欲しい。でも明日は別に会いたくない。あくまで他人。それがいい。
好きな男性のタイプは?って聞かれたら推しって答える典型的なオタク。最近の楽しみは専ら推しを追いかけることで、四半世紀こじらせた恋愛下手は推しへの偏愛となって表れた。
束縛はほどほどに、自立はしててしっかりもの。他人がいなくても生活できるけど物寂しくて猫を飼ってる。サイコーじゃん、推し。
どうやったらあなたに街で出会えますか、ということだけを考えて生きてるって言ったら友人たちの顔が固まった。いつまで夢見てんの、って。
脱線した私という車両は、普通線結婚駅にも出産駅にも辿り着けなそう
そうかこれは夢物語なのか。じゃあ貴方は何処で御相手と?そう聞けば普通に職場で、とか普通に同級生だった、とか。さも普通と答えるけれど、じゃあ毎日テレビを見て、SNSを見て、好みの男を見つけて惚れてしまうのは普通ではないの?貴方も学生の頃はアイドルにわーきゃーしてたじゃない?って。
普通ではない理想を抱くくせに普通の幸せを欲するこの矛盾に気づけたあたり、私偉くない?なんて思うけど、多分大事なのはそこじゃなくて、どうしたら普通のレールに乗るかってこと。既に脱線してしまった私という車両は普通線結婚駅にも出産駅にも辿り着けなそう。
昨年、10歳以上年上の先輩が結婚したのを最後に、職場内の未婚者は私だけになった。貴方は若いからって言われるけれど、その物差しはどこから出したの。また始まる普通の話。
職場の平均年齢からしたら確かに私は若い。つまるところこの職場を物差しとした普通が生まれる。平均年齢がそれなりに若くて、男女比がそれなりの職場で、それなりの男性と恋に落ち、それなりのタイミングで結婚をして、それなりの年齢で子どもを産む、そんな普通から私はいつこぼれおちたのか。今更考えても仕方がないのだけれど、どうにかしないと脱線し続けてしまう。
諦めないわよ、我が人生。夢に出会うか、普通と交差するのか
分かっているのになんで普通にならないのって、わかっているよ私だって!でも現状を変えるのは面倒、推しは今日もかっこよくて私の理想のまま。これが私の普通になってしまったから、自ら復線する必要があるのかって、考えてしまう。
自然に外れた車輪を元に戻すのには労力がいるって、さすがに設計ミスがすぎる。いつかいつかが積み重なる堕落した日々。ぬるま湯のような私線は居心地が良すぎて、見渡す限り暫く交差点は見えない。
私はいつその“シアワセ”とやらを掴むのか。諦めないわよ、我が人生。夢に出会うか、普通と交差するのか、運転手は私。
今日も口から出るのは「推しと結婚したい」と「子どもを産むために誰でもいいから結婚してくれ」。
相反する2つの言葉、交わるのは何処?