「次はどこ行こうか?せっかくタイに来たんだし、エスニック料理でも食べにいく?」
大学生だった時、小学校時代からの親友と就活が終わったので記念にタイとカンボジアに旅行しに来ていた。初めてカンボジアにいき、スコールが降る季節だったが、めてのアンコールワットの朝焼けを見てお互い感動し、その後ンボジアからタイに移動してきた日だった。

そんな時、日本にいる家族から「おばあちゃんが亡くなった」と連絡が入った。
おばあちゃんは生前も入院していて、毎日のようにお見舞いに行き、おばあちゃんが元気だった頃は「あなたを1番応援しているわよ。あなたが大好きだった」と言ってもらったり、「あなたは本当に性格が良くてスタイルがいいわね。あなたはどんな人と結婚するのかしら…?」とよく言われていたりした。

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小さい頃から、おばあちゃんに会うと、なんか、すごく褒めてくれる。当時の私は、それをまるで日常の挨拶のようにとらえて、会えば褒められるということは、さして特別なものではないと思っていた。
しかし、大人になり社会に出てから、そんな存在が1人でも側にいてくれることはとても貴重で、大人は周りの大人を認めるのが難しいこと、内心認めていたとしても、それを言葉にして相手に伝えるのは難しいのだということを知った。

会えば必ず、肯定的な言葉をってくれる、交換しあえる。大人になって、そんな時間を交換できることは、なかなか至福なんだなと思うようになった。

そんな、いつも自立してバリバリ働いて、周りにも優しさを分け与える、縁の下の力持ち的なおばあちゃんが天国に行った。

まだおばあちゃんが元気だった頃、病棟で「あなたが1番好きだった」と笑顔で言われた時は、本人の前で、思わず泣いてしまった。

1人心が満たされている人がいると、その周りの人も自然と笑顔で幸せになっていく———飲食店を自分でやっていたおばあちゃんの働きぶりを見ると、このような情景を見ることが本当に多かった。

おばあちゃんと会うと、私もだが、私以外の職員やお客さんもじわじわ笑顔になっていく、肯定的な言葉が循環し、また会いたいと戻ってくる。優しい、満たされた、努力家で、品のある、おばあちゃんは、そんな人だった。

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私は、タイにいたので、最後のお葬式には参列できなかった。お葬式では、私の兄弟も元同僚たちも涙していたらしい。

お葬式の数日後、私がタイから戻り、久々におばあちゃんの家にいる犬に会いたいと思っていたその夜、おじいちゃんから愛犬が動かなくなったという電話が入った。
急いでおじいちゃんの家に行くと、愛犬も、おばあちゃんが旅立ち寂しかったのか、亡くなった。
私は8月に2人も大事な存在とのお別れをしなければいけなかった。直接、「さよなら」を言えずに。

でも、私はなぜか晴れやかな気持ちでいる。おばあちゃんも愛犬も、今でも天国で楽しく暮らしていると思っているし、見守ってくれているとも思っている。

それくらい、一緒にいた時間が濃密で信頼関係が流れている、そんな特別で素敵な人だったなと思っている。