厳かなホールに響き渡るオーボエの音。1粒の「ラ」から、音が広がっていく。ホールにいる全員が背筋を伸ばせば、指揮者は腕を上げる。

私が音楽と強く結びついたきっかけは、中高6年間熱中したオーケストラ部での経験が大きい。当時は「のだめカンタービレ」ブームの真っ最中、運動は苦手だしと消去法で入部を決めた。仮入部で楽しかったから、とこれまた適当にチェロを希望したが、これが6年間毎日をともにする相棒との出会いだった。

はじめの数ヶ月は、先輩たちの演奏を聞きながら楽譜を追うので精一杯。いくら練習しても、合奏のスピードにはついていけなかった。部活紹介で聞くような「みんなで音を奏でる楽しさ」にはなかなかありつけなかったが、6人いた同期へのライバル心だけでモチベーションを保っていた。

気が遠くなるほどの基礎練習を経て、花は開いた。あれは秋口だっただろうか、両膝で支えた楽器から、明らかにいつもと違う音がする。弓を持つ右腕の使い方が変わったのだろう、本来のポテンシャルを発揮するぜと言わんばかりのハリのある音を奏で始めた。

練習すればできるようになる。裏切られない快感を知ってしまえば、のめり込むまでに時間はかからなかった。毎日朝練・昼練・午後練をこなし、週に1度の夜練まで欠かさず参加するようになった。やればやるほどうまくなる。褒められ、頼られる。自分の練習の成果と、できることはやったという自負、何より練習量からくる自信を胸に舞台に立つことには中毒性があった。もちろん、ライトと拍手喝采を浴びることにも。

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高校卒業後、上京した私は選択を迫られる。楽器を買うか、ここでやめるか。高校までは学校で楽器を貸し出してくれたが、大学以降は基本的にない。音楽で食っていく選択肢は微塵もなかったし、新しいことにチャレンジしてみたい気持ちもあり、このタイミングで音楽から離れることにした。

インターンをしたり、ボランティアに出かけてみたり、意識高い系と揶揄されそうな大学生活を送ったと思う。それもこれも就職活動を見据えた方がオトクな気がするせいで、充実していたけれど、達成感はなかった。

今思えば、違う脳みそを使う世界だったと思う。感性で生きる世界と、論理で生きる世界。6年間音楽に没頭して感性を育ててきたのに、一般の社会では、論理を組み立てることや自分の思考を説明する力、納得させる力が求められる気がした。

「女は感情的」なんて馬鹿にされることもあり、感性の方が強いことを隠してみたり、論理的思考能力を伸ばせるように努力したり、無理に賢くなろうとした。右脳より、左脳がデカい人が偉いと思った。

中途半端に賢くなって、私の良さはかき消された気がする。

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社会に出てすぐに、体調を崩して仕事を辞めることになった。求職活動中に訪れた第二新卒向けのハローワークでは、適職診断を受けさせてくれるという。コロナ禍×短期離職という路頭に迷っていた私は、続けられる仕事を教えてくれるなら、と十数人の同世代と一緒にマークシートを塗りつぶす。結果を見ながらの面談では、私の性格や適正をもとに、適職を探してくれるという。

どうせ映画監督とか言われるんだろうな、と中学生の時に行った適職診断を根に持ちつつ、すがるような思いで面談に臨む。これまでどんなことに熱中したか掘り下げて話すうちに、チェロを弾いていたことをこぼした。すると、それまではどこか逃げ道を用意するような話し方をしていた担当の女性が、「音楽をやってたの!それね、絶対やめちゃだめよ」と断言してきた。

突然踏み込んだことを言う担当者に驚きつつ、やめちゃだめなんだ、と悟る。頭で考えるより先に、承諾していた。音楽を、自分の内側を表現することをやめてはいけない星のもとに生まれたらしいということが分かって、嬉しかった。

思えば、母が運転する車のなかでJ-POPに出会い、オーケストラに青春を捧げた。仕事を探しながらアイドルにハマって、スマホの向こうには世界中の音楽が広がっていることを知った。

人生を、音楽と歩んできた。きっとこれからも。「やめちゃダメよ」の言葉を胸に、いつの日か、聞き手よりも一歩だけ音楽のそばに近づけることを願っている。