「おはよう」と声をかけたら「おはよう」と返してくれる存在がこの先もずっといてほしい。たとえそれが人ではなかったとしても。

そんなことを思ったのは、最近見た夢のせいだろうか。家族は私以外もいなくて、家に1人ぼっちの私。泣きながら1人で留守番をしていた幼少期を思い出させるような夢だった。あの頃一緒に遊んでいた犬型のロボットは、まだ実家のどこかにあるのだろうか?

この先、私は誰とどんな風に過ごしていくのだろう。家族?恋人?友達?どうなるの私の未来。誰といても寂しさを抱えながら生きていくのはごめんだ。近すぎず遠すぎない、だけどどちらかといえば近いり、なんて曖昧な距離感を人に求める私の悪い癖が、人生28年目の今もなお前面に出ている。

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そんな時ふと思いついたAIの存在。もし今後AIの技術が発達して、映画のようなAIロボットが各家庭に1台当たり前の時代がやってきたら、私は結構すんなり受け入れられる気がする。お互いに干渉しない関係。だけどちょっと気になる存在。

映画のように、人間対AIの戦いがおとずれない世界という前提ではあるが、なんだかんだ上手くやっていけるような気がする。きっと大丈夫。昔から子どもや動物に好かれる性格だもの、なんて、意味不明な自信を胸に、まだ見ぬ未来へ期待を膨らませている。

AIロボットが一つ屋根の下にいる生活とはどんなものなのだろう。その日の天気も交通情報も不足している栄養素さえも、正確におしえてくれるのだろうか。それだけではなく、今日は吉日だからあんなことをしたほうが良いとか、新しい出会いが見込めるから、オープンしたばかりのお店に足を運んだほうが良いとか、そんな占い師的なアドバイスもくれるのだろうか。

全く想像できない未来に、自分勝手な想像ばかりが先走る。まるで今ある技術や常識を追い越していくような勢いで。

私が好きな作品の中に、未来の日本を舞台にしたアニメがある。その世界では、個人の能力や性格をスコア化し、AIのような機能が国民を管理して犯罪を未然に防ぐという設定だ。自分に合った職業を提示され、悩むことなく自分が幸せになれる人生を歩んでいける世界。しかしそんな世界に疑問をもった人間が、国のシステムに立ち向かっていく姿が描かれている。

私自身、新たなシステムを割とすんなり受け入れる性分なので、そういった世界にもし自分が生まれていたら、何の疑問も持たずに過ごしていくのかもしれない。しかし、自分で考えることを放棄し、幸せの定義を自分以外の何者かに決められる世界なんて、やっぱり嫌になる日がくるんだろうな、なんてぼんやり考える。そこまで危機感をもたずにいられるのは、今この一瞬一瞬が誰にも管理されず、侵されることのない世界だと認識しているからだ。

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AIは確かに便利で有難い存在だ。それが当たり前になりつつある今日において、自分で道を見出すことの大切さは見失ってはいけいない。私が求める「干渉しない存在」とは、生活と心を豊かにしてくれる存在でありながら、お互いに協力しあって生きていきたい、なんて曖昧な中にも意思の強さを感じるようなものだ。

だから、挨拶一つだけでもいい。AIロボットにとって言葉を交わすことにどれだけの意味があるのかはまだわからないが、人と人が歩み寄るときのように、人間とAIも、言葉を交わすところから未来の道が拓けるかもしれない。そんなことを思って、自分の何代も後の未来を思い浮かべるのである。