「ゆらゆらゆれる木もれ日に手をかざして」
これは私が小学6年生のときに書いた童話のワンフレーズだ。
今から10年前、小学6年生だった私は市が小中学生に向けて募集した文学コンテストに、400字づめ原稿用紙5枚以内の条件つきの童話部門で、夏休みの宿題を兼ねて作品を出した。
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私は小説を読むのが好きだった。現実とかけ離れた幻想的な本の世界に飛び込むのが大好きで、読むのは魔法が出てきたり、不思議な生き物の出てくるファンタジーものばかり。
そんな私は、短いお話を自分で書くのも好きだった。真っ白のコピー用紙を器用に折りたたんで、挿絵も入れて、飼い猫が喋るとか大切にしてきたぬいぐるみが助けてくれるとかの、なんともかわいらしいお話をいくつか書いていた。
出来上がるといつもそれをおじいちゃんとおばあちゃんに見せていた。ふたりは「すごいすごい、上手だ」と言って、大げさに褒めてくれた。
今思えば、だいぶ気を使わせていたと思う。拙い文字がガタガタに羅列されたそれは、とても読みやすいものではなかったし、正直オチも何もなかった。
でも、読んできたファンタジー小説から拝借した景色の描写力については、当時の小学生にしてはなかなかだったんじゃないかとほんのり自負していたりもする。
話は戻って、コンテストに出した童話、それはその夏の体験をもとにした話だった。
家族で北海道に行った夏、「十勝千年の森」へ寄った。まだ行ったことがない人はぜひ一度訪れてみてほしい。広大な緑が広がるところで、3歩あるいてはその度に深呼吸したくなる。「世界で最も美しい庭」との評価もある場所だ。
そんな場所にインスピレーションを受けて、森で妖精に出会う少女の童話を書いた。
入選した。
実際には“入賞”したいところだったが、入選でもとても嬉しかった。
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それから5年後くらいだろうか、高校生になってから自分の書いたその童話を読み返してみた。驚いた。
ストーリーのすっ飛び具合に、言葉遣いの稚拙さに、そして語彙力の少なさに。
当時は気が付かなかった。
ついでにそのときもらった冊子で入賞作品と読み比べてみた。驚いた。
ストーリーの上手な組み立て方に、漢字の多さに、そして語彙力に。
ただひとつ、情景描写だけは、入賞作品を見ても自分の方がすごいじゃないか、と思えた。
調子に乗っている部分もあるのかもしれない。
大学生になった私は中学、高校とは比べ物にならない量の文章を書いている。授業のコメントシートでも、課題のレポートでも。
しかし、あのころと変わらず私に足りないものは語彙力である。いや他にもいっぱいあるけれど。
自分の考えを過不足なく言語化して、人様に読んでもらえる文章にどうにかなるように、何度も読み返しながら常に語彙を探している。
「違う、そうじゃない」「これじゃないんだよなあ」と思いながら、しかたなく書き進めることもある。
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小学6年生の頃に書いた童話を思い出して、気づいた。
当時の、今より圧倒的に語彙力も表現力もない私は、ひとつお話を書き上げたじゃないか。
少ない語彙で、自分の見た景色をどうにか伝えたくて、風に揺れていた草原も、眩しく差し込んだ木漏れ日も、駆け出した体に受けた風の心地よさも、全部を伝えたくて、自分の大好きな小説たちから吸収した語彙でとにかく頑張った。
そんな当時の自分から勇気をもらえた。
あの時の探求心や文章を書く時のワクワク感を忘れていた。
私の文章を読んで喜んでくれる人がいたことを思い出した。
“文章を書く” それは小学生だった私にとって、遊びのように楽しかった。私の思いと感情に、色と形を与える行為そのものだった。
そして今、就活生である。
質問の答えに思いをのせて、自分のために、文章を書かなくてはいけない。自分を売り込むために。
どう書いたら、どう表現したらいいだろう。
私は今日もキーボードを打つ。