最近ではChatGPTで簡単に巧みな文章を生み出せることに、私はショックを受けていた。ずっと文章を読むことと、書いて誰かに伝えることが好きな私にとって、AIの出現は窮地に追いやられてしまう出来事である。

人間は感情のある生き物だ。視覚、味覚、嗅覚、触覚、聴覚といった五感をつかって、美味しいものを食べたり、勉強したり、恋をしたり、悲しんだり、嫉妬することもある。

AIにはその五感は全くない。だからこそ何の間違いもない技術の発展をこの先、誰もがポジティブに捉えられるのだろうか。

文章を作り出すことや、人間に代わって仕事ができる。それは画期的ですばらしいことだ。しかし、もともと完璧なAIにはもちろん人間味がない。それが物足りなくて寂しい。人間は何度も失敗を繰り返しながら、少しずつ成長していく生き物で、みんなそれぞれに人生という物語があるから面白い。

初めから完璧なAIは、成長することを知らない。すでに完成しているし、人間よりも優れた技能をもっていて何でもできてしまう。

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特に高齢化社会において介護用ロボットの需要が高まりを見せているが、まだまだ人の力でしかできない仕事も沢山ある。

もし誰かをワクワクさせ感動を与える文章をAIが書いたとしたら、この世に小説家はいなくなってしまう。それは絶対に目にしたくない未来だ。小説は人間がプロットの立ち上げを含めて少なくとも二年ほどかけて完成させるものだと私は勝手に思っている。作家が二年という歳月をすべて物語のためだけめに捧げていることに物語への息吹が感じられるのだ。

ただ文章力がうまいだけでは物語は生み出せない。それを簡単にAIに遂行されてしまうと、その小説の価値が誰にも伝わらなくなると思う。もし大学のレポートや卒業研究の小説が行き詰ったとしても、私は絶対にAIに頼りたくない。

AIに負けられない戦いに挑もう。四月から始まるレースに向けてここで誓っておくことにする。

そんな一方で、もしAIの力で相手の心の中を読みとることが出来たらいいなとも思う。

AIに頼って好きな人の心の中に耳を傾けられる日が来たら、どんな生活が待っているだろう。相手の未来に私はいるのだろうか、この人私のこと好きだったら良いのにな。カップルや片思いの人たちにも、相手の心を読み解くAIがあったら沢山の恋が実るのかもしれない。

恋愛だけではなくて人間関係が円滑にまわって、誰も嫌な思いをしないで済む。人と人の間にAIが入ると、快適な人生が待っている。

人と人のコミュニケーションは関係性によっては複雑化することも多いからこそ、AIがコミュニケーションを補助してくれる未来に期待してみたい。

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AI技術がどこまで私たちの生活を好転させていくかはわからないけれど、AIとの関わり方もしっかり考えていくと、良いところと悪いところもある。そこは人間と一緒だ。

ロボットと共存する未来はすでに始まっているといっても過言ではないほど、スマホやパソコンがなければ生活が成り立たないこの令和の時代。そのデジタル、AI社会に埋もれずに生きていくために、いつだって自分を見失わないことが大事だと私は思う。

私にとって文章は一生ものだから、AIに頼んで文章を書く人とは正直わかりあえないかもしれない。逆に仕事の効率化のためにAIに文章を書いてもらっている人は、私のことをちっぽけだと思うかもしれない。それでも私はAIと上手に共存するために、ときには見極めることも欠かせないのだ。

この先、またAIが出現し続けたとしても私は恐れずにドンっと構えられるような人間でいたい。ささやかな人生の幸せを心から幸せと思えるような未来をAIと歩んでいきたいと願うことができたなら、それでいいのだ。