4年前の3月、高校3年生の時だった。私はずっと習っていたバレエ教室をやめ、発表会に出なくても良い教室に移った。大学受験があったのと、16年間習ってきたバレエを「習い事」としてではなく、今後、勉強や仕事とバランスを取りながら「趣味」として続けていきたいという気持ちがあったからである。

レッスンの曜日や回数、発表会の有無が自由自在に選べる環境は、私にとってとても魅力的に映った。習い始めてみると、多少の先生の指導の仕方に違いはあって慣れるのに時間がかかったけれど、レッスン自体は楽しくてやりがいがあった。

私はこうやって一生バレエのレッスンをしながら生きてゆく、今はその転換期なのだと思っていた。

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大学受験が終わった。嬉しいことに第1志望に進学できた。憧れの大学でできた新しい友達、新しいサークル、新しいバイト…。コロナのせいもあって、想像していたキャンパスライフではなかったけどすべてが新鮮でキラキラしていた。

こんなに環境が激変している最中、バレエを今まで通り続けることは到底無理だった。最初は、レオタードに着替えて髪の毛をシニヨンに整えてストレッチして教室に行くという一連の動作が億劫になってきただけだった。

しかし、ある日のレッスンで涙が出そうになった。ただいつものように先生に注意を受けただけなのに、私はあの子より上手になれないという感情が集中力を邪魔して、どうしようもなく泣きたくなった。その回は何とか耐えたものの、それがトラウマになって行く回数が減っていった。

それとサークルの繁忙期がかぶって、とうとう時間的にも余裕がなくなったので1年生の6月ごろ先生にメールした。「大学の行事が忙しくなってしまうため、今後レッスンに伺う回数が減るかもしれません」確かこんな文章だった。

送った時には、また夏休みにでも顔を出そうと思っていたが、これを最後に約2年間レッスンには行っていない。先生には蒸発したと思われているだろう。

高3の時に辞めたところは家族を巻き込んでしっかりと挨拶しに行ったのに、この時は「ありがとうございました。さようなら」の一言すら言えなかった。

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今でも1人になった時などにふと思い出して、辞め方に対する呆れ、私にとってバレエはこんなものだったのかという悲しみが湧き上がってくる。16年間親のサポートのもと習った大好きだったバレエは、大学生活のスタートという環境の変化で簡単に過去のものとなってしまった。

今は外食が増えたせいもあって体型は変わったし、筋肉も落ちてしまったから前のようには踊れない。親戚には「上手だったのにもったいないわね~」と会う度に言われるし、私だってそう思っている。私が一番わかっている。

参加に対する自由度が高い習い事や教室全般に言えることだと思うのだが、参加が強制されていない分、自分で自分を律する工夫が必要だと改めて感じる。そんなこと大人として当たり前だと思われるかもしれないが、大学1年生の私にはその難しさや重要さがわからなかった。

高校生の時は決められた範囲の勉強と決められた時間の習い事に行けばよかったが、大学では何をどれくらい勉強するか、どれくらいサークルにコミットするか、バイトは何にするかがすべて自由になって、あれもこれもと欲張っているとキャパシティーが足りなくなる。こんな辞め方でバレエ人生を終えると思っていなかった。
今後はもっとメリハリをつけていこうと思う。特に「さようなら」の場面。相手のためにはもちろん、自分のためにも。