さよならは突然だった。私が中国語の試験に向け黙々と復習している時に、それもLINEで。そのLINEは高3の1年間だけ仲良くしていた、距離感がちょうど良い友達からで、高校の親友からでないというのもリアルだ。

「K先生のお別れ会くる?」確かそんな内容だった。はっきりと覚えていないのは、既読も付けずトークを消去したから。その時に初めて、K先生がお亡くなりになったことを知った。衝撃が大きすぎた。

K先生は英語教師でありながら、おちゃらけた性格で、見た目だけでは先生だとわからない。どちらかというと、美味しい焼き鳥を出してくれる居酒屋の店主のような見た目

ここだけの話、何で教師なんだろう?と初め疑問に思ったぐらいギャップのある人だった。

◎          ◎

そんなK先生のおちゃらけた性格を象徴する、大好きなエピソードが2つある。
1つ目は、それこそ初めて会った時、正確には自分のクラスで初めてK先生が英語を教えてくれた時。最初の授業だったので、K先生は生徒の名前を覚えるためにも点呼をとった。

私の名前を呼んだ矢先、K先生は「○○って名字かっこいいよね!実は好きな名字なんだよ~、初めて会った!キムタクのドラマの主人公の名前が○○でさ〜」と突如しゃべり出した。いや、語り出した。

えーーー!今まで呼ばれた生徒はそんな絡みなかったし!めちゃめちゃ私情を挟んで、私の名字褒めてくれてますやん!と心の中でツッコんだ。戸惑いもありつつ、皆の前でK先生が名字を褒めてくれて本当に嬉しかった。

授業中に話題になったこともあり、割と早くクラスメイトに自分の名前を覚えてもらえた。もしかしたら…そこまで計算してくれていたのかもしれない。実際、真相を聞こうとして当時の話をしても、K先生は何も覚えていないだろうなと想像がつく。

さっきの続きになるが、その際「○○さんは、そのドラマ知ってる?」と質問され、何となくお笑いの空気を感じた私は「知らないです」と冷たく即答したら、クラスにドッと笑いが起こったのだ。高校生になったばかりで緊張した空気の漂う教室で、ひと笑いとK先生との思い出がうまれた瞬間だった。

◎          ◎

2つ目は、帰りのホームルーム中のこと。ちなみにK先生が担任になったことは、3年間で一度もない。一度もなかったにも関わらず、K先生は担任以上に思い出深い。

ある日のホームルーム、担任の話を聞いていると、K先生が教室に入ってきた。担任に話があって来たんだろうな~と思っていたが、「○○さん、今日の放課後、英検(の宿題)みられるから職員室の前で待ってて!」と、ひと言だけ残し消えて行った。こうしたK先生の人柄は自由奔放な故に、人によっては相性が合わないかもしれない。先生として少しズレているのかもしれない。でも私は嬉しかった。英検利用型で受験する私にとって英検が重要なことを、K先生は覚えてくれていた。そのうえ、わざわざ教室まで言いに来てくれたのだ。

英語を熱心に教えてくれる先生としてだけでなく、人としても好きな先生だった。もちろんLIKEで!

受験があった私は高校の卒業式に参加しなかった。そういう意味でも、ちゃんとK先生にさよならを言っていない。

最後に会ったのは、後日、担任が設けてくれた個別の卒業式の帰り道。その卒業式には担任と校長だけが参加予定だったので、K先生とは会えないと思っていた。

目の前からK先生が歩いて来た時は、やっぱりと思った。最初に会って名字を褒めてくれた時から、なんとなく縁があるような気がしていた。

高校卒業後も英語のわからない箇所を教えてもらうため、その場でLINEを交換した。実際、わからない箇所を聞こうとした時は、なぜか交換したはずのLINEが見当たらず聞けなかった。その後は自分の受験勉強が終わっていないこともあって、なかなか高校に顔を出せず、やっとの思いで大学生になれた後も、あっという間に時間は過ぎていった。

◎          ◎

その間にK先生は入院していたそうだ。原因はお酒の飲み過ぎで、ある日急に倒れたという。

K先生はおちゃらけた性格の持ち主だ。退院後もお酒を飲み、そして突然の別れとなった。今になって思うとLINEが見当たらなかったのも、最近になって会えていなかったのも、私が悲しまないためだったんじゃないかと思う。もしかして…ではなく確信している、K先生のことだから。

お別れ会には参加しなかった(担任に言われていたら、参加していたかもしれない)。

さよならが言えなかった、というのは悪いことではない。さよならを言えていたら、このようなエピソードはきっと薄れてしまっていた。さよならを言わなかったから、こうして気軽にK先生のことが書けている。けじめとして、私はこのエッセイでさよならを言うつもりだ。