つい1ヶ月ほど前に父方の祖父が亡くなった。
1月中旬に入ってから祖父が入院したことを聞いた。遠方に住んでいるためお見舞いに行くということは叶わなかった。
そしてどこかでまだ退院できると信じていた。祖父はこれまでも何度か入院したことがあり、その時はお見舞いに行った。退院して、祖父母宅で会うこともできていた。
前回の入院よりは祖父は年をとっていたが、今回も同じように退院できると思っていた。

今日の体調は良いという知らせを聞いたほんの数時間後に、亡くなったことが母親経由で知らされた。
父は祖父の入院する病院から離れた場所で仕事中であったため、病院に駆けつけるのが遅くなり、祖父の死に目に立ち会えなかった。それが心残りになっているのではないかと娘の立場で心配した。

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どこかで祖父の死は覚悟はしていたものの、ずっと前から分かっていたことではあったものの、突然の知らせに目の前が真っ暗になった。

幸いなことに、仕事のやりくりができたので、問題なく田舎に帰ることができた。
帰省の準備で忙しくしていたが、一人暮らしをしている自分の家に1人でいるとふとした瞬間に涙がにじんだ。
帰省すると家族がいて、精神的に不安定になることはなく、家族の支えの大きさに気づいた。

お通夜、お葬式ともに親族だけで行われた。祖父の遺影を前にしただけで涙が止まらず、式の間は目尻を赤くしっぱなしであった。
この時ばかりは、前髪を伸ばしていて良かったと思った。
親族の手によって手向けられた、たくさんの花に囲まれた祖父は何だか幸せそうに見えた。

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親族に囲まれていた祖父とは反対に、一番年長の孫である私は、未だに結婚もしておらず、子供もいない。
地元を離れ、仕事を言い訳にして未だに結婚のけの字も見えない私も、ベタではあるが、将来子供や孫に囲まれて見送られたいと強く思った。

おばあちゃんにはひ孫を抱かせてあげてよ、という祖父の声が聞こえた気がした。

今年のお正月に、カニ鍋を囲んだことが祖父との最後の思い出だ。
その時、祖父の隣に座ったのでカニ鍋を取り分けたり、何かいるものはないかと聞くような会話を交わした。
昔のように何かのテーマについて話すことはできなかった。

長い間会話ができていなかったからこそ、やるせない気持ちとはまた違う寂しさから来る涙が何度も溢れた。

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生まれた頃から祖父にはたくさんかわいがってもらった。
どこかで孫はかわいがってもらえるのが当たり前だと思っていたが、決して当たり前じゃないことが分かってからはもうありがとうなんて、照れくさくて言えなくなっていた。

昔のアルバムやビデオを見れば祖父が登場して胸が締め付けられることが分かっているのでしばらくは見れないだろう。

まだ四十九日も迎えていないような状況であり、まだまだ私の中では気持ちの切り替えができていないことに、今文章を綴っていて気付かされた。

いつまでも悲しみにくれていては祖父は安心して天国に行けない。自分にそう言い聞かせて、気持ちを奮い立たせている。

おじいちゃん、小さい時からかわいがってくれてありがとう。これからは天国から見守っていてね。