少し前に話題になったとあるドラマのなかで出てきたシーンが印象的で、折に触れてよく思い出す。

主人公の女性が、高校時代の恋愛を振り返りながら「今思うと、学校っていうのはすごい場所だった」「嫌でも週5で行く場所で、嫌でも週5で好きな人に会える場所だった」といった内容の台詞をモノローグ調で語っていた。思わず目の前のテレビに向かって「わかる」と身を乗り出しそうだった。

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私の場合は高校ではなく中学だったけれど、2年生のときからずっと好きな人がいた。彼とは2年間同じクラスだった。
何のために学校に行っていたのか、学校で何をしているときが一番楽しいのか、と仮に人から問われたとしたら、まず間違いなく彼の顔が思い浮かんでいただろう。

「今日は話せるかな」と考えながら自転車をこいで学校へ向かい、「今日はあんまり話せなかったな」「今日は結構話せたな」とまた考えながら同じように自転車をこいで家へ帰る毎日だった。

友達は大して多くなかったけれど、それでも恋をしているからか気持ちはいつだってみずみずしかった。可能性の数々を勝手に想像してしまう片想いというものは、おめでたいほどに楽しかった。

ただ私が好きだった人は顔を合わせれば謎のいちゃもんをつけてきたり意地の悪い暴言を吐いてきたりするようなタイプだった。毒っ気のある言葉ばかり浴びていたら普通は嫌いになりそうなところなのに、それでも私は教室の彼を目で追うことがやめられなかった。

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彼の意地悪を適当にあしらいながらも、その意地悪をどこかで心待ちにしている私が確かにいた。彼も変だったけれど、当時は私も大概変だった。

しかし、ひとり密かに楽しんでいた片想いライフはいつまでも続くわけじゃない。部活を引退し、最後の体育祭や合唱コンクールも終わり、修学旅行にも行き、あとに残る行事は卒業式だけとなった頃。
「もう少しで会えなくなるんだ」と、今までの当たり前が当たり前ではなくなることに静かな焦燥感を覚えた。彼の顔をちらりと盗み見る。

嫌われては、いないと思う。席が近くなくとも、2日に1回は話しかけられる。3年生のクラスが発表されたときは「今年も同じクラスじゃん、よろしく」と肩を叩かれたし、漢検で同じ級を受けることがわかったときは勝負を申し込まれたし、高校受験の手応えがいまいちだったとこぼしたときには「◯◯さんなら大丈夫でしょ」と珍しく優しいトーンで話を聞いてくれた。私が何かとんでもない思い違いをしていなければ、あるいは彼がとんでもない思わせぶり野郎でなければ、嫌われては、いないと思う。

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卒業式が近づいていくにつれて募っていく焦燥感。本当にこのまま卒業してしまっていいのか、それは嫌だけれどかと言って何をどうすればいいのか、と胸の内で繰り広げられる押し問答。「告白」の選択肢は、現れては消え、現れては消えを行ったり来たり。

偶然にも、最後の席替えで私と彼は隣どうしになった。
運が味方してくれたのかもしれない、と喜びを覚えつつも、それでも私はこれといった行動は起こせず、うじうじとしたままだった。

卒業式の数日前には卒業アルバムが配布され、アルバムの後ろのほうにある余白のページには自由に寄せ書きし合う流れになっていた。私もクラスの何人かとアルバムを交換し、メッセージを書き合ったけれど、彼との間でそれは叶わなかった。何も告白ではなく、単に「何か書いて」と言うだけでよかったのに、その勇気すら私には足りていなかった。

もっと言うと、「何か書かせてよ」と彼のほうからお願いされることを待っていたのかもしれない。「何か書いてよ」とアルバムを渡されることも期待していたのかもしれない。

自分が2年間抱き続けてきた好意は確かなものなのに、それでも私はどこまでも受け身だった。そんな弱気な自分に対して落ち込んだ状態のまま、最後の日はやって来てしまった。

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卒業式当日。
体育館で式を終えたあと、再び教室に戻った。教室のあちこちで、泣いたり笑ったりする輪ができていた。自分は涙腺が固いほうだと思っていたけれど、式の途中からずっと目が潤んでしまっていた。「えっ、泣いてる!?」と友達には驚かれ、そんな彼女の目も少し赤かったから「そっちだって」と笑いながら言い返す。

最後の日を友達と惜しみ合いながら、私はさりげなく教室全体に目を配った。
彼の姿が、どこにもない。うそ、と思わず声を上げそうだった。一度自分の席に戻り、隣を見やる。カバンなどの荷物は見当たらず、空っぽの机だけがそこには残されていた。
自由解散だったから、もう教室から出て行ってしまってもおかしくはない。もしかしたら、他のクラスの友達の元にいるのかもしれない。部活仲間の元かもしれない。

それでも、この教室からは確かにいなくなってしまった。その瞬間、「当たり前」を永遠に失ったことを実感した。
もう、彼とこの教室で話すことは二度とない。
もう、彼に卒業アルバムのメッセージを書いてもらうことはできない。
もう、彼に自分の気持ちを伝えることはできない。

失われた穴は想像以上に大きくて、胸が、苦しかった。

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あの春からおよそ12年後、実はもう一度偶然が起きている。去年の5月の話だ。

仕事の都合で地元に帰った際、ばったり彼と再会した。マスクをしているうえに髪もだいぶ短くなっていたのに、彼はすぐに気づいたようで、「◯◯さん?」と懐かしい旧姓で私を呼んでくれた。もちろん嬉しかったし、中学時代の恋の記憶が頭の片隅からぶわっと蘇りもした。

でも、それだけだった。

干支がちょうどぐるっと1周してしまう12年という年月は、あまりに長すぎた。互いに仕事中だったこともあり、再会の時間は一言二言の他愛ない会話だけで終わった。

だからこそ、もしあの春に、中学卒業のあの頃に戻れるなら。
嫌でも週5で行き、嫌でも週5で好きな人に会えていた場所で、直接本音を打ち明けたい。そして彼の本音も、確かめたい。
報われるか報われないかは、結局勇気を出してみないとわからない。そんな勇気ある幻の自分は、あの春にいつまでも閉じ込められたまま。