一般事務職、警備員、電車の運転手、ライター、コンビニの店員、通関士、タクシー運転手、会計監査、ホテル客室係、コールセンター業務、銀行員。
以上、様々な職業を羅列した。これは10~20年後AI技術によって消えるとされている職業である。
まずい、非常にまずい。なぜなら、私は銀行員であるからだ。精神障がいを抱えていることもあり、何より堅実で安定して働けることを重視して就活をした。まさか職業自体の存亡が、こんな形で突きつけられることなど、考えてもみなかった。
AI技術の発展を恐れているのは、私のような銀行員だけではない。2023年5月に野村総合研究所は生成AIに対する意識調査を行った。「AIのイメージについて、あてはまるものをお知らせください」という質問に、「業務効率や生産性を高める」「暮らしを豊かにする」といったポジティブイメージがトップ1と2にランクインした。しかし、その一方で、「人間の仕事を奪う」「なんとなく怖い」「不安である」といったネガティブイメージもランクインしているのである。AIは便利だが、その便利さゆえに仕事を奪われないか不安で怖い、と思っている人も確実にいるのだ。
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私は毎日仕事をする際に、生成AIを使っている。活用方法は多岐に渡る。アイディア出しや文案整理、メールドラフト作成、英文翻訳、時にメンターになってもらい、人生相談に乗ってもらうこともある。使ってみた感想?ううむ、やつらは、やはりとても優秀なのである。ある程度のクオリティの文章をあっという間に生成する。今まで文章力と英語力が自分の強みだと思っていた。しかし、ここまで精度が上がっているAIを前にし、「文章力と英語力が強みって今後大丈夫かな……」という不安にかられる。やはり私も多くの人と同様に、AIへのイメージは「便利だが不安である」というものに固まりつつあるのだ。
では、私はAIとどう向き合っていくべきか。その答えの端緒を得たのは、意外なところであった。趣味の美術展巡りで、先日開催された「モネ展」を見に行ったときのことである。クロード・モネ(1840年‐1926年)といえば、印象派の生みの親の画家である。会場に入場すると、モネの代表作が70作展示されていた。息を大きく吸い、優し気なタッチが生む柔らかな会場の空気で、肺を満たす。1作1作目の前の作品を身体に、心に、浸透させる。150年の時が溶け、私はモネと邂逅した。
そんなときである、ふとある疑問が湧いた。「写真が発明されたときって、絵画に影響はなかったのかな」と。それは、本当にふと湧いて出たアイディアであったが、とても強い問いであった。そして思った。「写真技術の発明が、絵画芸術に与えた影響を調べることで、新技術のAIへの向き合い方を考察してみてはどうだろう」と。そこから私の自由研究は始まった。
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写真が発明されたのは1826年のことであった。1839年にはより安価でより手軽な手持ちカメラが発明され、大衆人気に火がついたそうだ。カメラの人気に、危機感を覚えたのは画家達であった。なぜなら、それまで絵画に必要とされ、それまでの絵画芸術で正解とされてきたことのほとんどが、カメラの方が上だったからだ。
本物そっくりに描けるかどうかの写実性。作品として仕上がるまでのスピード。人件費が非常にかかる画家に対して、イニシャルコストだけのカメラは廉価性においても優れていた。そして、絵画のような特殊技術もいらない手軽さ。写実性、スピード、廉価性、手軽さ、全てにおいて絵画はカメラに負けており、画家たちへの衝撃は非常に大きなものであったという。当時のトップアーティストであるフランス人画家のポール・ドラローシュは、カメラの発明を目にし、「今日を限りに、絵画は死んだ」とこぼしたほどであった。
では、画家たちはこの危機をどう乗り越えたか。2つの道があった。
まず、1つめに、より人間らしい新しい芸術の追求。写実性において、絵画はカメラと競っても敵わない。よって、人間しか描けない、自分が感じた印象をそのまま絵画にする、という「印象派」の誕生につながるのである。どんなに優れたカメラでも、主観を持っていないので、印象を表現することはできない。そのことに目をつけたのだ。
そして2つめは、新しい技術との共存である。現像された写真から新たな構図やインスピレーションを得たのである。例えば、カメラは動く対象をとらえようとするが、手振れやフレームアウトを起こすこともある。それまで絵画は対象を目で切り取っていた。そのため、カメラが写したそのようなものは、これまでになかった全く新しい視覚であり、印象派の画家たちに大きなインスピレーションを与えたのである。
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このように、写真技術の発明は、絵画芸術に大きな影響を与えた。それは多くの肖像画家たちを失業に追い込むものであったが、印象派を生んだり、新技術と共存することで、絵画を進化させることにもつながった。良いことばかりでもなければ、悪いことばかりでもない。
AIも私たちの未来に、確実に大きな影響を与える。ここで提案である。AIをよく知らないままで、漠然と「不安だ」「怖い」と思うのはやめませんか。どうせ怖がるなら正しい知識を持って怖がる。敵を知ること、もっと言えば、己を知ることから始めよう。画家たちがそうであったように、人間らしさを追求すると同時に、新技術との共存を、AIでも行っていけばいい。
そして何より、「写真技術の発明が絵画に与えた影響の考察」を思いつくオリジナリティー、そしてそこからその着眼点は面白そうだと調べていく知的好奇心。そうこの人間が持つ知的好奇心とやらは、まだAIが持ちえぬ人間独自のもの。だからこそ大切にしていきたい。これが「AIと私の未来」に関する自由研究の私なりのまとめである。