2021年7月4日。大好きな女の子が、芸能界を引退すると知った。

その日は休日。いつもより早めに目が覚めて、Xのトレンドで全てを知った。0時ぴったりに更新されていたブログを読めば、大好きな彼女らしい、丁寧で、穏やかで、アイドルの仕事に対して葛藤があったことを感じさせる文章が並んでいた。事実はとっくに理解できているのに、何度も読み返しては心にぽっかり空いた穴が大きくなっていくのを感じる。何をする気にもなれず、ただダイニングテーブルに肘をつく。

長くアイドルを応援してきて、推しの卒業には慣れたと思っていた。むしろ、ショックを受けすぎないように予兆を嗅ぎにいっていた節もある。だけど、彼女の卒業は予想できなかった。加えて「芸能界引退」という事実はあらゆる媒体から配信されるニュースを読んでも理解できず、SNSで誰かが言った、「22歳になった彼女には一生会えない」という言葉に絶望した。

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気持ちが追いつかずとも時は過ぎる。卒業発表から2ヶ月が経つ頃、彼女の地元で卒業セレモニーが行われた。現地に行くことは叶わなかったが、配信で最後のアイドル姿を目に焼き付ける。

キャラを作ったり、着飾ったりすることが苦手だった彼女。ありのままの性格と、慈愛すら感じさせる笑顔で私たちを惹き付けたアイドルは、「これが最後」のフィルターを通さなくたってこの上なく輝いていた。

引退当日にはライブ配信が行われたが、どうしても視聴できなかった。配信を見終えてしまったら、まだこの目に映していない彼女の姿は失くなってしまう。心の拠り所にしていた笑顔ももう見られない。この先一生新しい姿に出会えないのなら、一度でも新しい彼女に出会える機会を残しておきたかった。 私には、さよならを告げる勇気がなかった。

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それから2年が経った今、随分勿体ないことをした、という後悔が心の片隅にある。あふれんばかりの感謝と悲しみを抱えてあの日の配信を見ていたら、この先一生得られない特別な感情を手にしたと思う。許容範囲を超える感情に振り回されることも、他人の人生に勝手に意味を見出す「推し活」の一種の醍醐味のように感じる。

あの時、私には彼女を送り出す勇気がなかった。アイドルとしての彼女の物語が終わると同時に、エネルギーをもらって生きてきたファンとしての生活も終わる。喪失感をどこにやればいいのかは分からないけれど、それでも新しい道を応援するんだ、私は私で生きていくんだと腹を括れていたら、今はもう味わえない感情でいっぱいになっていたのではないだろうか。彼女を失った悲しみさえ、思い出のひとつとして色濃く記憶に残っていたのではないだろうか。

引退の日を逃してしまったら、卒業と向き合う体力も必要性も無くなってしまって、未だに最後の配信を見られていない。彼女が最後に教えてくれたことは、たとえ傷つこうともぶつかった方がいい壁があること、その壁を越えたあとの瞳は、この上なく美しく強いということだった。