17歳の春、はじめてのひとり旅をした。行き先は、静岡。
その頃世間にはコロナ禍の空気が漂い始めていて、高校も塾も休校。友人たちに会えず、医療従事者の両親とは必要最低限の接触しかしていなかった。進路も見通せず、漠然と未来が不安だった。数ヶ月前に友人を亡くして、喪失感の中にいた。

夜中に思い立って貯金していたお年玉を引っ張り出し、朝早くに家を出た。新幹線と在来線を乗り継いで辿り着いたその土地は、空が広くて、ずっと先まで見通せるくらい建物が少なかった。急き立てられるように移動してきたのが嘘だったかのように、のどかで穏やかな場所だった。

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降り立った駅のホームでぼーっと立っていたら駅員さんに声をかけられた。涙があふれてきて、駅員さんは慌てて駅員室に案内して、あたたかいお茶を振る舞ってくれた。静岡のお茶はおいしかった。

何も話せず泣くばかりだったけれど、何も訊かれなかった。訊いてはいけないように感じたのかもしれないし、単に興味がなかったのかもしれない。でもそれが何よりありがたかった。

初対面の人のあたたかさに触れて、諦めたくなくなった。生きることも、先の見通せない現状の中で未来を見据えることも。丁重にお礼を言って、その駅を発った。

不安も喪失感もまだ残っていたし、消えるものではないとわかった。同時に、それらと一緒に生きていくと覚悟を決めた。
覚悟を決めたらお腹が空いてきて、途中下車して有名なハンバーグ屋さんに入った。平日の夕方早くという妙な時間のおかげで、さほど並ばず食べることができた。噂通りにおいしかった。今思えば、久々の外食だった。

わたしがひとり旅から帰ってから、世の中はどんどんコロナ禍の自粛生活に突入していった。他人事には到底できない規模で行動を制限され、高校生活も大学受験も少なからず影響を受けた。ひとり旅のことは、誰にも話さずにいた。

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それから2年後、19歳の春。友人が生きた歳月を追い越しそうになっているとき、またその駅を訪れる機会があった。駅員さんは違う人だった。

駅の周りを一周して、駅の売店で売られていた地元のお茶を購入した。また途中下車してハンバーグを食べて帰った。ハンバーグの味は変わっていないと感じたのに、わたし自身は大学に進学していて、それがとても不思議な感覚だった。

21歳になった今でも、あの17歳のひとり旅は夢だったのではないかと思うことがある。でも、ここに来て救われたのだと確かに感じられる場所があることが、わたしを強くいさせてくれる。
不安や喪失感は、今でも消えていない。ふとした拍子に涙が出てきそうになるし、いまだに友人の年齢を追い越したことが信じられない。でも、不安も喪失感も、素敵な人たちとの出会いに導いてくれるきっかけになった。もう見据えたくないとさえ思った未来は、今まさにわたしの前に広がっている。

あの春のひとり旅を思い出しながら、17歳だったわたしへかけたい言葉を探した。見つからなかった。

あの日覚悟を決めたわたしは、未来からの言葉がなくても歩いて来られた。素敵な人たちと出会い、ご縁に導かれるように生きてきた。そのことを、誇りに思うだけだった。