「春」と言われると私はほんの数秒間、ほろ苦い気持ちになる。
私はこれまで26回春を迎えてきたが、最も心に残っているのは23歳の春だ。
その年の春は、新卒で入った会社で2年目を迎えた頃だった。
私はひどく苦しみ怯えていた。仕事が辛かった。
私の性格は心配性で人見知りで、周囲の人から怒られ嫌われるのをひどく恐れていた。
さっきの雑談で変なことを言っていなかっただろうか。この資料が間違っていたらどうしよう。納期に間に合わなかったらどうしよう。叱られるだろうか。がっかりした顔をされるだろうか。「あいつは使えない奴だ」と噂されるだろうか。
想像すると怖くて怖くて頭が真っ白になって、メールを打っている途中で30分間固まったまま動けなくなることもあった。
こういった心のプレッシャーや何十時間もの残業が重なり、私は体調を崩しはじめた。
パソコンに向かいながら冷や汗をかき、息切れや手の震えが現れるようになった。夜は何度も目が覚めた。
◎ ◎
そして23歳の春、私はある言葉を唱えながら仕事をするようになっていた。
「死ねばいい」。
「仕事でとんでもないミスをしてしまったら、自分が死ねばいい」
「あの先輩に嫌われて虐められるようになったら、死ねばいい」
「辛すぎて何もかも無理になったら、死ねばいい」
心の中でこれを自分に言い聞かせると、「どうにでもなれ!えいやっ」と怖い上司にメールを送れたのだ。
こうして自分を奮い立たせて手を動かしていた。
良くないことなのは分かっているけれど、そう考えないと心がもたなかったのだ。
ポジティブ思考やコミュニケーションに関する書籍を読み漁ったり、名作映画を鑑賞したが、さほど効果はなかった。
この言葉が救いだった。
◎ ◎
私の「死にたい」はおそらく医学的には軽度なものだっただろう。もっと重度の希死念慮は具体的な死に方を考えたりするらしいが、私はそこまではしなかった。
どれだけ追い詰められたとしても、ナイフやロープを握る勇気はなかったと思う。
最後の最後には逃げ道があると認識できていることが重要だったのだ。
それでも、私はあの春の自分に言いたい。
死なないでくれてありがとう。
死ぬことではなく、前向きに生きることに力を注いでくれてありがとう。
心がぐちゃぐちゃになっているにも関わらず、頑張る方向を間違えないでくれてありがとう。
泣きながらカウンセリングの予約をして、怖くても親に打ち明けて、クタクタになりながらも職場の人達に事情を説明して、退職の手続きをしてくれて、ありがとう。
たいへん、たいへん、お疲れさまでした。
◎ ◎
私、2024年の今、生きてるよ。
ちゃんと人生が楽しいよ。あなたのおかげです。
今あなたが生きている春は辛いと思うけれど、私の春は幸せだよ。もう辛くないよ。
あなたの頭の中は会社の人達や終わらない仕事のことで埋め尽くされているけれど、今の私の頭の中は「今度のお休みは夫と本屋さんに行こうかな」「おやつの食パンに新しいジャムを塗ってみようかな」なんて、ちょっとしたワクワクでいっぱいです。心が軽やかにコロコロと弾んでいます。
そして今年の春、結婚式をします。
披露宴の準備や新婚旅行のスケジュール決めに日々追われながら、胸を踊らせています。
あなたが頑張ってくれた春を繋いで、また次の春の自分にバトンを渡します。
これからの春がずっと良いものでありますように。