毎年春になると切ないような、悲しいような気持ちになる。
「もしあの時仕事を続けていたらどうなっていたんだろう」
絶対につぶれない会社で、私はつぶれてしまった。一生勤めるつもりで入社したのに、たった3年で辞めてしまった。そうするしかなかった。どうしたらいいかわからなかった。
春になる度に、情けなく後悔を繰り返している。
混合性双極性障害Ⅱ型。私の不眠、絶望感、そして希死念慮の原因。
一般的にはストレス、不規則な生活リズム、睡眠不足で発症・悪化すると言われている。
鬱状態の時はプラスの感情が感じられず、食べることも寝ることもできない。
躁状態の時は感情が高ぶって誰にでも話しかけたり、喧嘩っ早くなったり何をするか自分でもわからない。
加えて混合性という、たとえば良い買い物をして幸せなのに、常にうっすらと悲しみを感じるといった、説明できない感情の混濁が厄介だった。
この症状たちは落ち着くことはあっても、完治はしない。
24時間勤務、怒鳴られるのは当たり前、殴られる可能性もある接客、仕事中の睡眠は3~4時間。
◎ ◎
当時駅員として働いていた私にとって、この障害と仕事は相性が悪かった。
それでももしあの春に時間が戻るなら、退職届を破り捨てたい。もしかしたら上手くやれていたかもしれない。基本給だってそれなりに上がっていたと思う。
仕事をやめて失ったのは収入だけじゃない。
あのまま続けていたら今年で9年目。
同期とは10年来の仲になり、結婚式に呼ばれれば感動して涙し、同期会では日頃の愚痴や昔話で盛り上がっていただろう。
知っている先輩や後輩も増え、たくさん会話もできただろう。
職歴も10年続けていれば社会的信用ができ、家のローンも借りやすくなっていた。
職場婚後、今も順調に仕事を続けている夫のことをもっとよく理解してあげられていた。
もしあの時、もしあの時……。
◎ ◎
わかっている。
都合のいい想像ばかりで現実を見ていない。あの時復帰してもきっとうまくいかなくて結局やめていた。たとえ障害があっても部署異動はできないと産業医から言われていたし、病気になった時と同じ職場に戻ったらまた体調を崩していただろう。
精神科の復職支援に通い障害について学んでも、障害が消えるわけじゃない。実際に復職支援には3回、4回と休職を繰り返している人もたくさんいた。自分が変わっても、乱暴な客層は変わらない。
仕事だけじゃない。
将来子供を作りたいとなった時、仕事をしていたら薬をやめられなかった。薬を飲み続けることによって、他の臓器への影響も心配だった。症状が悪化したら、周りに迷惑をかけるのは不可避。薬を飲みながら働くことも考えたが、働くために薬を飲んでいたはずなのに、薬を飲むために働くことになりそうな将来が怖かった。
色んなことを考えて考えて考えて出した結果なのに、どうしていまだにこんな気持ちになるんだろう。
◎ ◎
人間はやったことよりも、やらなかったことへの後悔の方が大きいと何かで聞いた。
後悔しないように全部チャレンジしろ!という意味だと学生時代はとらえていたが、どうやら文字通り年長者のリアルな声だったらしい。
このままずっと後悔しつづけるのか。
そんな人生は嫌だ。
これから先、いい会社に運良く拾ってもらい、子供を育てつつ長く勤め、職場だけでなくママ友や自分自身の友達に恵まれたらきっとこんなこと考えなくて済むとわかっているから、現在できることを頑張ってはいるけれども。
同期のSNSのアカウントをフォローしている限り、夫が職場の話をする限り、あの駅に行く限り、復帰して活躍している世界線を想像してない物ねだりを繰り返してしまう。
「想い出よりも新しい日々が美しくありますように」
高校の恩師から言われた言葉が、今では私を責めている。
来年30歳になる私はこれからの日々を美しくできるだろうか。
また今年も残酷な春が来る。