「あるある」と共感できるのが良いエッセイの必要条件ならば、これから私が書こうとしているこのエッセイは、悪いエッセイである。なぜなら、誰も経験したことがないようなものだからだ。これまで友人にこのエピソードを話すと、もれなく全員、「そんなことあるの?」「前代未聞だよ」とドン引きされた。

それほど特殊なエピソード。11年前、高校3年生であった私に、いったい何があったのか。簡潔に言おう。忘れたのである。大学受験で第一志望の国立大学へ、願書を提出することを。そして浪人が決まった。

ここまでエピソードを読んで「あるある」となった人。連絡ください。異常な経験を経た仲間として、酒を酌み交わしたいです。そして「ないない」となった人。あなたは正常です。だからこそ、このエッセイを読んでください。あの春は私にとって、間違いなく人生の分岐点だった。その話を、今日はしようと思う。しばしの間お付き合いをお願いいたします。

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あれは、冬と春の狭間の頃だった。受験生であった私は、第一志望の国立大学の試験に向けて、日々勉強に勤しんでいた。センター試験の結果もまずまず。楽観視はできないが、希望は十分あるようなそんな点数であった。国立大学と言っても、私は後期試験一本狙い。第一志望校がセンターで数学を選択しなくても良い後期試験にしていたためである。過去問にひたすら取り組む毎日。受験生としては大詰めであった。

ある日、ガラケーがふるふると鳴った。電話である。誰だろう、と疑問に思って画面を見る。第一志望校も塾も一緒で支え合っていた、受験期のバディのような存在のZちゃんであった。

「もしもしZ?どうしたの?」と電話を取ると、「もしもしまよ?」と返ってくる。嫌な予感がした。Zちゃんの朗らかな性格に受験期は救われることが多かったが、その声は今まで聞いたことがないくらい弱弱しげで、絶望を帯びていた。

「どうしたの、Z?!」と聞くと、Zちゃんからはこう返ってきた。
「ごめん私〇〇大受験できない。願書提出するの忘れた……
あまりの爆弾発言に私の口から飛び出たのは「はえ?」という間抜けな一言であった。

「前期試験の願書提出し忘れちゃったの。受験そもそもできない。本当にごめん……
そういえば、今日の朝刊に、国立大学の出願状況と倍率が載っていたな、と思い出す。

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「本当にごめん。まよは私の分まで頑張ってね」とZちゃんは低く小さな声で続ける。意外なことにも泣いてはいなかった。人間ここまで絶望すると最早簡単に涙すら出て来ないのだな、と思ってしまう。必死にZちゃんにかける言葉を探す。しかし人生経験もなければ、前例を聞いたことすらないその事態に、おしゃべりな私でも簡単に言葉を見つけることができなかった。

「そっか……」と私が呟き、「そうなんだよね……」とZちゃんが返す。また私が「そうなのかあ……」と呟くと、「本当にそうなんだよね……」とくぐもった声が返ってくる。そんなやり取りを打破しようと、私は「Zの分も私が頑張るよ!私後期試験だから、まずは願書提出し忘れないように気を付けるね!」と言葉をかけた。

その励ましにZちゃんから返ってきた次の言葉を、私は生涯忘れないだろう。
「え……、前期試験も後期試験も願書提出日一緒だよ……」
すぐに咀嚼できないその言葉。「ちょっと待ってね」と電話を置き、朝刊の国立大学出願状況の頁を開く。するとそこには、私の志望する大学の後期試験の倍率が、太くはっきりと印字してあった。
「あははは、私も願書提出し忘れてたみたい……」と戻ってZちゃんに伝えると、今度はZちゃんが「そっか……」と絶句していた。

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「ちょっと家族会議するから、一旦切るね、Zバイバイ」という私の締めの一言に、Zちゃんは「元気出してね」と優しく声を掛けてくれた。Zちゃんも私に電話をかけてくれたときは、まさか今の自分が「元気出してね」と声をかけることなど予想していなかっただろう。未来とは予測不可能なものである。

志望校の合否以前に、受験することすら叶わなかったあほな受験生。家族会議は大荒れだった。その後浪人することが決まったあとも大変であった。そのあとすぐに双極性障害という精神障害を発症したのだ。この10年間で、闘病、長期にわたる入院生活、4年間の引きこもりを経た。2年間の浪人生活を経て、大学に合格した後も社会人となった後も、体調不良による2年間の休学や休職など様々な挫折があった。

「あの春に戻れるなら」。この10年間、私はずっとそんなことばかり考え続けて生きてきた気がする。あの春に、願書を提出できていて、第一志望校に現役で合格できていたならば。きっと精神障害を発症することも、4年間引きこもることもなかった。今とは全く違う今を生きていただろう。挫折して絶不調のときこそ、その輝かしいifに執着していた。

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でも、今の私ははっきりとこう言える。「あの春に戻れる機会があったとしても、私は戻らない」と。この10年間の全ての出来事が、今の私を形作っている。そして私は今の私になんだかんだ満足しているからだ。「ある春に戻っても、何度でも願書提出し忘れてやる」と言えるまでの豪胆さは持ち合わせていない。しかし、「人生なんとかなるもんよ」とあの日の絶望した自分に優しく声を掛けてやることはできる。そんな優しさと人生経験をこの10年間で身につけることができた。それで十分ではないか。

そして、デジタル大辞泉で「春」の定義を改めて引いてみると、5番目に以下のような意味がある。「苦しくつらい時期のあとにくる楽しい時期」と。ならば、今の私は今の私なりの春を生きているのである。

さりとてささいなことで人生は変わる。時に悪く、時に良く。「ないない」でもここまで付き合ってくださった読者の皆様、ありがとう。皆様も提出物の期限日には、ぜひご留意を。