3月5日。休みをとって足を運んだのは、出身大学の現役の学生たちが開催する演奏会だった。お世話になった先生が今年度で退職するというので、最後に駆け付けなければいけないと使命感に駆られたからだ。大阪からおよそ1時間もかかる駅からさらに徒歩で10分かかる新しいホールだった。
実はその演奏会のお知らせもご招待もなく、先生と連絡していた時にふと尋ねて教えてもらったのがきっかけだった。その日は風邪をひいていて、天気も雨でやけに寒い日だった。
どうせならと思って、いつものようにお気に入りの洋服を着て、いつも以上に入念にお化粧をし、髪の毛を整えてアクセサリーもしっかりとつけて、ウキウキしながら出掛けていった。
終演して1人でそそくさと帰った電車の中、私の頭の中は疑問詞ばかりだった。今さっきの2時間は、一体なんだったんだろう。
冷静に考えると、私は浮いていたんだろうか。私があの空間でまともに話したのは3人だけで、先生と学生時代によく話した事務局のおじさんと、後輩の1人だけ。その他の人たちは、目を合わせるのもそこそこに、私と話をしようともしなかった。
今の仕事がアパレルの販売員で、話してなんぼ、みたいなところがあるので、そこに居合わせた人たちの私への拒否とさえ取れるような振る舞いに、戸惑いと驚きしかなかった。
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以前はマメにやっていたFacebookやTwitterも何年も前に止めてしまって、唯一ずっと続いているのは、Instagramだけ。それだけは、初めてスマホを手にした18歳の頃から今まで、ずっと同じアカウントを育て続けているので、写真を遡っていくとおよそ12年分の私の日記のような投稿を、ずらりと眺めることができる。
写真と少しの文章を載せられるInstagramは、無駄がなくて割と気に入っている。そこだけが唯一、私の近況を友人知人に発信しているツールだ。浪人時代から、芸大生時代、卒業して留学からの、就職して現在まで、私が今どこで何をしているのか、わかってもらえるような投稿をしている。途中からできたストーリーやリールの機能なども、細々と使っている。
音楽家として生活していくならば、SNSは積極的に活用して、自分がどんな演奏活動をしているのか、周知させるのがいいと思っている。その名残なのか、自分が今どこでどんな生活をしているのか発信しているので、たいてい皆は知ってくれている。
音楽を辞めて会社員になって、実家暮らしで普通にお給料をもらいながら生活していると、ほとんどお金を使うことがない。大好きな自社製品の洋服類は社員価格で購入できるし、祖父母から譲り受けたジュエリーのおかげでそれらを買いたい欲もほとんどない。私の楽しみは仕事の休憩中ランチや、趣味の御朱印巡りについて、あとは休日に行ったカフェやレストランなどの食べ物や、展覧会や旅行、演奏会などの写真日記である。
今が1番、お金と時間に余裕があって、理想的な悠々とした生活を過ごせているようだ。そりゃ、音楽家として今も努力してもがいている人たちからすれば、私は非常に目障りなのかもしれない。
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SNSは、できるだけ楽しくて綺麗なものを残すようにしている。
苦しくて悩んでいる時期を発信することは無かったし、どれだけ悩んで何を決断したのか、今どんなことを目標に努力しているのか、そんなことを大勢の人たちに知ってもらう必要はない。それに足を引っ張ってくる人たちがいることは、過去の経験から重々承知している。
ふらりと現実に姿を現した時に、元気でキラキラして余裕こいて、と思わせることができれば、私の策略通りである。どれだけ大変でも、余裕のあるように生きているように感じてほしい。私の大変な背景は、大切な人だけが知っていればいい。