毎日、家族や誰かに何気なく投げかける言葉。「行ってきます」「行ってらっしゃい」。
この言葉について、以前大学の講義で、相手が帰ってくることを予祝、予期しているものだと学んだことがある。昔は旅をするとき、生きて帰れるかどうか分からないし、今のように連絡手段もない。だから、相手が必ず帰ってきますように、と祈りをこめているのだと。
きれいに折り畳まれたハンカチのように、丹精な祈りもあるものだ、と感心したことを覚えている。

摂食障害は一般的に、「良い子」がかかる病だそうだ。大人の言うことに素直に従、優等生で真面目な性格が多いという。そんな繊細な彼らが、自分で対応できない壁にぶち当たったときに、摂食障害という病気にかかってしまうらしい。  
私にも思い当たる部分はあるので、確かにそういう傾向はあるのだろう。 

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去年の春、就職活動の焦りから、私は毎日自分を責めてばかりいた。最終的には公務員試験臨むことになったのだが、民間企業も見ていたため、だいぶスタートが出遅れてしまったのだ。他の受験生が専門試験という特殊な科目を勉強し終えた中、やっと専門試験の科目に取り掛かるという、取り返しのつかない差があった。

起床して、身だしなみを整えた後、昼食や夕食以外は勉強に費やす。日用品を買いに出かける時間すら、「勉強をしていない」という自分に罪悪感を抱いていた。とうとう、自分に食事する価値があるのだろうか? という気持ちも浮かぶようになった。
思うと、身体も心も相当疲弊していたのだろう。気づくと、蜘蛛の巣に絡んだ虫のように、摂食障害という病にかかっていた。

だから、もし去年の春に戻れるなら、私は去年の私に謝って、ぎゅっと抱きしめてあげたいと思う。「ごめんね、責めてばかりいて辛かったね」の一言をかけたい。
きっと、子どものような小さな「私」は、泣きじゃくりながら、ほっとした笑顔で「うん」と応えてくれるだろう。「ずっと心が辛かったよ、気づいてくれてありがとう」、と言ってくれるような気がしている。

そして今、さらに声をかけるならば、その小さな「私」に、「ありがとう。これから前進していくよ。行ってきます」と言いたい。摂食障害という病は残ったけれど、澄み切った空のように、現在の気持ちはすっきりとしていることを伝えるためだ。

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「行ってらっしゃい」「行ってきます」は、相手が帰ってくることを祈る言葉である、と述べた。そうであるのなら、落ち込んだときや苦しみを感じるとき、小さな「私」を思い出して、彼女に忘れずに声がけをしたいと思う。
辛くなる前に、ちゃんと心の中にいる私に、「気持ちが置いてけぼりになっていないか」と確認しよう。無理をする前に、私はあなたの元へ帰ってくるから、安心してほしいと。

これは私に限ったことではなく、いま、自分を責めていたり、辛い思いを抱えたりしている人にも当てはまることだ。
あなたの中にいる、純粋でささやかな「私」に気づいて、そっと抱きしめてあげてほしい。そして、微熱でそっと溶かされた雪のように、寄り添った後、彼女に「行ってきます」と挨拶をしてはいかがだろうか。
「私は大丈夫。行ってきます。元気で帰ってくるからね」
それは、あなたの人生を豊かにする魔法の鍵であるーーと、私は思うのだ。