ささやかな日常を書いてみたい。そう思った。「私史上最悪の一日」というテーマを知ったときのことだ。
最初に思い出したエピソードは、私の人生の中でもドラマティックなものだった。大学受験の現役のとき、第一志望の国立を後期日程で受けるはずだった私は、願書提出日を忘れていて受験できず、自動的に浪人が決まった。その後、浪人期に精神疾患である双極性障害を発症し、ひきこもりニート生活を送ったが、祖母の死を機に奮起して第一志望校に見事リベンジ合格した。
やらかしたことのでかさといい、人生にとっての大きなターニングポイントとなる失敗であり、何よりドラマティック。「史上最悪の一日」をテーマとするエッセイに書くネタとしては、これ以上ないほど良いネタである。
でも、筆は進まなかった。
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かがみよかがみにエッセイを書くこと1年。掲載されたエッセイは60本ほどになる。いつの間にか私は、自分の人生に起きたあらゆるエピソードをドラマチックに大仰に書く癖がついていた。まるで小さい頃から読んできた様々な小説の中の主人公のように、自分の綴るエッセイの中では自分がヒロイン。ヒロインの私が紆余曲折を経てハッピーなエンディングを迎える、綺麗すぎる起承転結を演出するのが、いつの間にか日常になっていった。そしてそんな自分にどこか飽き飽きとしていた。
確かに願書を提出することを忘れていたその日は、ドラマチックに最悪な一日である。でも、本当の人生はもっとささやかな日々と時間の積み重ねなはずだ。私が、自分にがっかりしたり、ついていないなと思ったり、自分に嫌気がさして「今日最悪だ」と感じるのは、ドラマのようなそれではない。
例えば、平日の仕事を乗り越え、あれもやりたいこれもやりたいと思って迎えた土曜日。前日の晩酌の影響で早起きするつもりが、起きたら昼で、そこから立て直せばいいものの、なんとなくYoutubeとSNSを巡回していたら、夜になっていた、そんな一日。虚無感に襲われ、自分の怠惰さに落ち込む、そんな一日に、私は「今日最悪だった」と深く落ち込むのである。
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そんなことを考えるきっかけとなった動画がある。これもYoutube動画である。
オモコロというwebメディアをご存知だろうか。
「【検証】老若男女が並べば『能力者』っぽい写真が撮れるんじゃない?」
「【防犯検証】訓練されたタカを使って『下着泥棒』はできるのか?」
「【検証】船の上で謝罪会見をすれば、フラッシュの光でイカが釣れるんじゃない?」
といった面白い記事をあげつづけるwebメディアであり、そのユニークすぎる着眼点からネット民からの人気は非常に高い。かく言う私も数年前からファンであり、更新を非常に心待ちにしているサイトの一つである。
そしてオモコロは記事だけでなく、Youtubeチャンネルもあり、ハイペースでこれまた面白い動画を更新し続けている。
ある土曜日いつものようにオモコロのYoutubeチャンネルをスクロールしていると、興味を引くサムネイルに出会った。それが「『こんな一日を過ごしたい』を凝縮して最高の一日を作りだそう!」だった。
オモコロ、正式名称を「『オモシロ』コロシアム」とするだけであって、彼らが挙げていく最高の一日の条件もユーモアに溢れ、それと同時に「分かるぅぅ」と共感で膝を打つようなものばかりであった。
「休日なのに朝6時に、熟睡感とともにパンの焼く香りですっきりと起きる」だの、「溜まっていた区役所事務作業を2、3済ませてすっきりして、ついでに朝からジムに行って優越感にひたる」後に、「ラッシュの終わった電車に乗って出かけ」て、「名画座にふらっと寄り観たことのない映画を鑑賞」し、「広くて空いてるスーパー銭湯のサウナでチルした後にアイス」を決めて、「気前の良い魚屋さんで大量に刺身を買い込んで帰宅」、そして「アマプラでドラマの新シリーズを見ながら晩酌する」などと、些細かつ実現はできそうな解像度の高い理想が挙げられていく。
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しかし、ただ理想を挙げていくだけではないのが、流石の「オモシロ」のプロ。一日の終わりに「そのまま夢も見ずに眠り、心臓麻痺で死ぬ」という、「最高の一日」が「最期の一日」だというオチをつけて動画は終わる。ふふっと笑い、動画のイイネボタンを押下して、私の一日もそこそこ良い終わり方をした。
また別のネット巡回で終わろうとしていた土曜日の夜。「最高の一日」と対になる「『なんか疲れるんだよな』という一日がついに決まりました」という動画が上がっているのを発見した。「最高の一日の反対が、最悪じゃなくて『なんか疲れる』っていうのちょっと分かる」と思い、早速サムネイルの再生ボタンを押す。
すると早速「16時、寝すぎて頭が痛い状態で起きる。一日が終わる」という案があげられる。分かる、それかなり嫌だ。他にも「11時にセールスの電話で起こされ」、「スマホをチェックすると充電できていなくて残り10%」で、「冷蔵庫を開ければ賞味期限切ればかりで捨てなければならず」、公園を訪れると「無視できなくもない雨が降ってきた」ため、「コンビニで傘をわざわざ買うと、買った瞬間に雨が止む」、など一日中共感度の高い嫌な出来事が続くのだ。そんな人生への地味な嫌がらせばかりの散々な日は、「もうさっさと寝ちゃおう!でもなんか寝れない…」、そして「心臓麻痺で死ぬ」と括られた「最高の一日」と比べ、「それでも人生は続く」と締められる。
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そうなのだ。例えその日が自分にとって史上最悪な一日だとしても、それとてささやかな日常、ささやかな人生は続いていく。
また、ふふっと笑いがこみあげてきて、イイネを押す。みんな土日に夢を持つけれど、実際はこんなもんだよな、と。ふとYoutube巡回で終わった最悪であったはずの一日が、少し許せるものに変わっているのに気が付く。自分の人生を映すYoutubeチャンネルがあったら、怠惰さへのちょっとした呆れとともに、そんな土曜日にもそっとイイネボタンを押すのだろう。「それでも人生は続いていく」、私のささやかな日常、to be continued….