元日の地震で傷ついても、幸せに過ごす。目を背けるのはいけないのか
能登半島地震に関係する内容が含まれています。
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一月一日、わたしは旅行で山梨県甲府市にいた。
年末年始、わたしは毎年信州を旅行する。今年は山梨県と長野県を旅する四泊五日の計画だった。大晦日は山梨県の甲府市に泊まり、初詣に武田神社に行った。その日は天気も良く、暖かい。鳥居の前には初詣する人たちで長い列ができている。まずは屋台でじゃがバターと、イカ焼きを買い、列に並ぶ。わたしと同じように列に並んでいるカップル、家族の姿や、聞こえてくるやりとりに微笑ましい気持ちになる。並んでいる間に屋台で買ったものを食べてしまい、いざ神様の前へ。「今年も一年平和に、心穏やかに過ごせますように」。そう祈った。初詣を終え、街中を散策しようと歩いていると、iPhoneの緊急速報が突然鳴り出した。能登半島で最大震度7を記録する地震が起こったとのことだった。津波の心配もあると書かれている。
突然、心がざわざわ動き始めた。一月一日、誰もが今年一年の平和を願う日に、地震が起こるなんてことがあるのか。しかもかなり大きい。被害もきっと甚大だ。能登にいる知り合いのことも不安だったし、自分が宮城県の三陸に住んでいて津波の恐ろしさに日々怯えていることもあり、X(旧Twitter)で地震のことを検索し始めた。津波はもう来ているのか、被害はどれほどなのか。画面上には沢山の情報が錯綜し、流れていた。しかし検索すればするほど、わたしの心は不安でいっぱいになっていく。わたしが平和に過ごしている今この時間にも、恐怖や不安を感じ、傷ついた人がたくさんいる。わたしはどうすればいいのだろう。
その日の夜は長野県の下諏訪町に泊まる予定だった。しかし長野方面に向かう電車は地震の影響で止まっている。それでも今日中には復旧するだろうと踏み、帰らず、長野に向かうことを決めた。しかしこんな状況の中で、旅行を続けてもいいのかと心の中で後ろめたさが溢れる。電車の復旧を待っている間もずっと地震について検索してしまう。知らなければいけない、辛い思いをしている人に心を向けなければいけない、自分だけがこんなのうのうとしていていいはずがない。そんな思いに駆られていた。しかしいくらそんなことをしても自分にできることはない、そしてただひたすらに自分の心が傷つきすり減っていく。このことに気づいたタイミングでわたしは地震のことについて検索をかけるのをやめ、iPhoneをしまった。
あの時わたしにできることは何もなかった。そしてわたしはその瞬間を幸せに過ごすことに決めた。心が締め付けられるようなニュースは、毎日のように流れてくる。ネットニュース、SNS、スマホを開いていれば自然と目に入ってきてしまう。しかしわたしは自分の心が大丈夫だという時にしか開かない。悲しいニュースとは距離を置く。これがわたしのルールである。
自分の心を守るために、目を背けることはいけないことだろうか。知らないでいることは罪だろうか。そう葛藤しながらもわたしは自分の心も守り、今を平穏に生きるために、スマホを閉じてしまう。
かがみよかがみは「私は変わらない、社会を変える」をコンセプトにしたエッセイ投稿メディアです。
「私」が持つ違和感を持ち寄り、社会を変えるムーブメントをつくっていくことが目標です。
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