私はいつからか全くわからないけど「誰ともセックスせずに一生を終えたい」と思うようになっていた。自分も何が原因でいつからそんな風になったのか覚えがない。なぜ私が一生処女でいたいのか、なぜセックスをしたくないのか分からない。自分がアセクシャルとかノンセクシャルなのか、それとも禁欲主義者なのか、性嫌悪からくるものなのかよく分からない。私は普通に親や周りの大人から愛されて育ってきた自信があるし、自分のことが好きだ。だから、なぜそう思うのかについてはまだ自分でも分からない。

◎          ◎

中学生くらいまでは恋愛の要素にセックスは必ずしも必要はなかった。だから気軽に普通の年相応の恋愛ができて、友達との恋バナも楽しめた。恋愛において、自分がおかしいと感じることはなかったし、疎外感も感じなかった。

でも大人になるにつれて恋愛にセックスが含まれるようになっていった。このセックスという要素は、恋人と別れる原因の一つになった。私は恋愛を避けるようになった。私のことを知らない人に告白されてもしんどいだけだった。どうせ私とセックスできないって分かったら離れていくくせに……。

◎          ◎

友人との恋バナではあまり盛り上がることはできなくなった。恋愛に興味のない友人としか関わらなくなった。「結婚願望はあるの?」「子どもは何人欲しい?」等ありふれた楽しい会話だけど、私は時々どう返答したらいいのか悩んだ。セックスをしないってことは、結婚も子どもも難しい。ほとんどあきらめていて考えていない。ただそれを友人に伝えたらしらけちゃうから、いつも適当に返答する。恋愛の話が話題にあがっているのに盛り上がれない。セックスのせいで、なんとなく疎外感や孤独を感じていた。

セックスは生物の生活においてとても自然なことである。それは私自身大学院で学ぶ中で身に染みている。人間にとってとても性は身近で自然であたりまえのことだ。だからそれをしたいと思えない私はちょっとおかしいんだと思う。少し寂しかった。だから自分と似た仲間がいたらこの孤独や疎外感を無くすことができるのではないかと考え、アセクシャル・ノンセクシャルのコミュニティーに参加してみることにした。

◎          ◎

実際にコミュニティーに参加して良かったのは、共感することが多くてとても楽しかったこと。また自分の発言も周りに共感してもらえる。ここでは性や恋愛に対する考え方において自分が変人ではなく、普通なんだと感じられてとても安心した。

でも同じような考えの人でもやっぱりそれぞれ個性があってみんな違う。同じような仲間に出会えれば孤独じゃなくなると思っていたけど、そうでもなかった。むしろ同じような人たちだからこそ、少し考えが違うと余計に孤独を感じた。逆に性や恋愛に対して考えが異なる考えの友人と一緒にいた方が自分の居場所だと感じることができるということに気づいた。

自分の性や恋愛に対する価値観は自分の一部であり全てではない。私の性や恋愛に対する価値観を誰かに分かってもらえなくても、それ以外の部分で共感したり、一緒に協力し合ったり社会の一員として機能することはできる。性や恋愛に対する価値観を周りの人に理解してもらったり、気にかけてもらったりするよりも、社会の一員として皆と平等にただ存在できる方が幸せなんだと思う。

また、同じような考えの人たちが必ずしも孤独を忘れさせてくれるものではなく、孤独とは自分自身と向き合い自分の中で解決していくべき問題なのだと気づくことができた。人はどんな人でも孤独や悩みを抱えながら生きている。周りに分かってもらえなくても自分が自分を認めてあげられれば自分はハッピーなのだ。だから私はこのまま自分の気持ちに正直に、自分の幸せを追求して生きていきたい。