SNSのマイルール。私が決めたルールはたったひとつだけ。それは生存確認用に使うということ。

Instagram、Twitterのアカウントを同時に開設したのは、高校を卒業した直後だった。うちのルールは学校の生徒指導よりも厳しくて、私がスマホを初めて持ったのは高2、その当時SNSの利用は一切認められなかった。

私はこのルールにすごく反対だった。なぜなら、将来SNSを使うことは絶対に決まっていたから。1人で利用する前に、保護者の監視の下、一緒に使い方を学びたかったし、考えたかった。徐々に制限を解除していく、小さな失敗も経験しておく。そうやって少しずつSNSというものに慣れることを、私は望んでいた。

いざ大人になった時、責任を負う立場になった時、大きな失敗をしないように、まずは練習的なことをしておきたかった。

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しかし、高校生の私に対して両親は、SNSを否定できるだけ否定し、利用を頑なに禁じ、その上SNSとは一体なんなのかということを、正しく学ぼうともしてくれなかった。

当時の両親はとにかく、SNSを利用して欲しくないと思っていたらしい。だから真偽も怪しい、SNSの恐ろしいイメージばかりを私に植え付け、私が自主的にSNSを使わないことを決める形に持っていきたがっていた。

でも今の時代、SNSを一切使わずに生きるのなんて絶対に無理。だってLINEもSNSの一種だ。これを一切封じ込んで生きるのはもはや、身勝手なわがままになってしまう。

大人になればなるほど、「分からなかった」では済まされなくなるし、連絡が滞ったり連絡を取るのにちょっと手間をかけさせることは、この社会のスピード感に順応出来なくなる原因にもなりうる。

両親の意思に背いてでも、現代の若者たる私は、自分でSNSを獲得し利用していくしか道はなかった。

かくして私は、誰の指導も助言もなく、この荒れ狂った情報(もしくはインターネット)のに、1人乗り出したのである。

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そんななか、Instagramを始めたての私に親友がこう言った。
「あんた、東京行ったらさ、もう、廊下ですれ違うどころか、偶然どこかで会うなんてこともできなくなるじゃんか。さすがに生きているかどうか気になるから生存確認できる程度に、適当でいいからストーリーあげてよね。頼むよ」
この言葉が、後の私を救うことになる。

正直、ここには書けないような失敗した。でも仕方ない。これはなんの事前知識もなく大海に乗り出した結果と言えよう。

もしあの時の私に何か言うことができるのなら「半年ROMれ」と言いたい。この言葉は技術や情報と呼ばれる教科の教科書に載せるべきである。東京の友だちはなんかよくわからん単語(おそらくネットスラングと呼ばれるやつ)を使って、私の失敗を責め立てていた。

当時は私の失敗の何がそんなにダメだったのかすらも理解できないほどだった。もっと分かりやすく言ってくれよ、ほんと初心者の存在が抹消された世界だよなあと、馬鹿みたいにのほほんとしていたのである。恥ずかしい。
この失敗とは別の件で、メンタルも削られた。嫌いなやつの投稿を目に入れるのが本当に苦痛だった。「私はお前のせいで苦しんでるのに、お前はなぜ幸せそうなんだ」と、殺気立ったことは数え切れないほどある。

私はおそらく、根本的にSNS利用に向いていない人間だ。

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でも今はかなり穏やかにSNSを利用できている。それは昔友だちに言われた通り、「生存確認用」としてSNSを利用するようになったからだ。生存確認用のSNSをし始めてからは、「幸せ」だの「エモ」だの「リア充」だの、逆の「鬱」だの「社畜」だの「ブラック」だのといったマウントは気にならなくなった。マウントは取る必要がないし、誰かの投稿をマウントだと思うようなこともなくなった。

フォロー欄は私が幸せになって欲しいと思っている人たちだけ、としてみた。どんなに自分がどん底でも、フォローしてる人たちが幸せであれば、自分と同じような苦しい思いをせずにいてくれさえすれば、それはそれで十分と思うことにした。

最近は私の感情が「それで十分」から進んで、「みんなが幸せなら私もいつかは!」とか「みんながんばってるから今から私も!」とか、プラスに働くようになった。すごく嬉しい変化だ。

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この4月から1年間、私は数年前と同じく、また遠くへと飛び立つ。

別れの際みんな口々に「死ぬなよ」と言ってきた。誰が死ぬか、死んでたまるか、もっと別れにふさわしい感動的な言葉もあるだろうに。

でもまあ、生きている状態を望まれるのはすごく暖かくて嬉しくて、とっても恵まれていることだ。幸せだ。

これからも私は生存確認用にSNSを使う。「生きているな」と生を実感した瞬間を絶景と捉えて、そいつをストーリーに上げまくるのだ。ストーリー画面の上部がミシン目になる程の大量絶景を期待する。