「ちょっとお仕事、お休みしましょうか」
昨年の秋、私は適応障害と診断され、休職をすることとなった。
その瞬間、こう思った。「ああ、終わった…

もちろん辛い仕事からの開放感もあった。でもそれよりも家族への申し訳なさや見えない未来に対する不安が大きかった。

せっかく親に大学まで出してもらって就職したのに休職なんて……。

就活生時代、粘りに粘って4年生の3月に内定をもらった会社だったのに……。
これから私、どうなるんだろう……。
私のキャリアプランは一瞬でお先真っ暗になった。

周りには休職経験がある友人が何人かいた。みんなしっかり復職や再就職を果たしていたが、私には無理だと思った。だって私は死ぬほど仕事ができないから。周りは簡単にこなしていることができなかったし、周囲とのコミュニケーションもうまくとれなかった。自分のミスで同僚に沢山迷惑をかけ、何度も上司に怒鳴られた。
きっと会社中みんなから私は嫌われている、味方なんて誰もいない。この会社でやっていけない私はどこに行ってもダメだろう。もう無理だ。

◎          ◎ 

「とりあえず先のことは何も考えず休んでくださいね」
まあでもそうか、先生の言うとおり、今は休むしかないんだな。私の休職期間はこんな風にしてスタートした。
最初の1週間はずっと寝ていたし、気がつけば泣いていた。

でも薬のおかげもあって1週間をすぎると少しずつ元気が出てきた。友達と遊んでみようかな。映画を見にいこうかな。美味しいもの食べにいこうかな。ちょっとずつちょっとずつ、外に出る元気が出てきた。
それからはいろんな人に会いに行った。
いつも定期的に会う友達から卒業以来会っていなかった大学の職員さん、10年くらい疎遠になっていた中学の同級生、しばらく会っていなかった親戚……。

いろんな人に会って気がついた。あの会社だけが世界の全てではない。
会社に勤めていた頃は会社が全てで、あの会社でうまくやれない自分は価値がないと思っていた。でもいろんな人と話すうちにあの会社の体制ややり方には問題があったかもしれないこと、私が上司から受けていた叱責は「パワーハラスメント」に当たるかもしれないことがわかってきた。
「きさふりさんが全部悪いわけじゃないんだよ」

そんな風に言ってもらえて私はとても救われた。
そして何よりもこんなにも自分のことを心配してくれて、味方になってくれる人が沢山いたんだと実感できた。

◎          ◎ 

こうして少しずつ元気を取り戻した私は今の会社には戻れないと判断し、転職活動を始めた。

元気になってきたとはいえ、転職活動には全く自信がなかった。まだ社会人3年目、会社で大きな何かを成し遂げた経験もない。休職していたこともあり、ビジネスにふさわしいようなコミュニケーションをまともにとれる自信もない。その上、適応障害で休職中の私を誰が採用したいんだろう。

不安な中、転職エージェントとの初めての面談がやってきた。
用意してきた履歴書、職務経歴書、そして自己PR用の動画……。
きっと会社にいた頃のように徹底的にダメ出しをされるのだろう、嫌だなぁ……。
そんな憂鬱な気持ちを抱きながら面談に挑んだ。
「履歴書も職務経歴書もほぼ修正するところはありません!動画も前向きな姿勢が伝わってきてとても良かったですよ!」
ええええ…!!嘘でしょ?信じられなかったがとても嬉しかった。

そして面談が進む中で転職活動を進める上で不安なことを話す場面になった。
「コミュニケーションをとるのがすごく苦手で…仕事もできませんし…不安です…
するとエージェントさんの声色が一気に変わった。
「あの…きさふりさんはコミュニケーションが苦手なわけじゃないと思いますよ?高圧的な人と関わるのが苦手なだけだと思います。だからもっと自信を持ってください!」
え、自信持っていいんだ…とてもその言葉に救われた。
それからもエージェントさんには沢山嬉しい言葉をかけてもらった。丁寧すぎると会社では怒られていたメールの文面や対応も沢山褒めてくれた。色々と相談してしまっても、「相談してもらえてありがたいし、面接の準備もできている」とポジティブに評価してくれた。

◎          ◎ 

そんなエージェントさんの支えのおかげもあって無事、転職先が決まった。
転職先の方々も適応障害で休職してしまったことを理解してくださり、休職経験がありながらも前向きに頑張ろうとしている姿勢を評価してくださった。
新しい職場では無理をせずに少しずつ少しずつ頑張っていけたらと思っている。

「ああ、終わった…
そこから始まった休職期間だったが、今思うと私の今後の人生、そしてキャリアにとっても必要な期間だったと思う。
ある特定の世界でうまくやれなくても、その世界だけが全てじゃない。
私の味方はいっぱいいる。
大切なことに気がつくことのできた貴重な半年間の休職期間であった。