行きたかった会社から内定をもらい、大学4年間の締めくくりを、ようやく「ホッ」と、春に向けわくわくするような気持ちで待ち構えていた5年前の春休み。「社会人」になることが楽しみだったのではない。春から、自分の行きたかった会社で、素敵な人たちと働けることに胸がワクワクしていたのだ。

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入社した時、まず私の配属先チームはイギリス人が上司で同僚に日本人がいなかったため、入社初日は、多国籍なメンバーたちと「寿司」ランチに出かけた。

新たに私を迎えるにあたってのウェルカムランチで、私が唯一の日本人だということで、会社の近くで皆でお寿司を食べに行くことになった。私のイギリス人の上司は、新参者の私に対しそんな配慮をしてくれたのだが、一方、欧米系の私のチームメイトたちはお寿司を訝しげに眺めながら、ほとんど手付かずのままおしゃべりしていたのを覚えている。後で聞くと、彼らは、生の魚を食べる文化があまり無いのだそう。

別に私は帰国子女でも海外大卒でもなかったので、最初は上司のなまりあるイギリス英語を聞き取るに苦労を要した。デスクで隣の席はイタリア人だし、前の席はロシア人だ。私の半径3m以内でも本当にグローバルだった。初日の印象は、「(私はこんなに英語が下手なのに)皆、忍耐強い。優しいんだな」というものだった。

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今思えば、「早くもう少し綺麗に英語を話せるようにならないと…早くチームメンバーにキャッチアップしないと…」と毎日頭がいっぱいだった自分に対し、そんなに1人で力まなくても…と思ったりするが、当時は、どこか「自分ならもっとできる。できて当たり前」というのが無意識のうちに根底にあったのだろうと思う。

理想が高く、無意識のうちに語学の面でも対人関係の面でも仕事の面でも1人で力み、完璧な自分になろうとしていたんだな…と、振り返るとそう思うことが多い。

でも、そうやって毎日明確に目指すもの、目指す像があって、たとえ1人で肩肘張って食いついていくストレッチな旅路も、貴重だといえば貴重な経験だった。全部1人で完璧に、他者に趣味に目を向ける余裕もなく全部こなす。つねに理想と現実のギャップに直面させられ、ストレスフルではあったものの、心の底ではどこか夢を追って楽しかったのだろう。自分にも同僚にもイライラしていたし、そのイライラに自分は気づかないまま走り、「なんのために働いているの?」と仕事や労働環境に対し思ってしまうこともあった。

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今は転職して地方にやってきた。現職は共感経済、関係性を基軸にしている仕事なので、仕事は他者とわけあい、他者と繋がり、大きなビジョンに向かって一人一人が現場の、社会の穴を埋め、創りにいくような進め方でやっている。

そんな現職の環境に慣れてくると、前職時代の社会人一年目の自分に、「チームにどうやったら貢献できるか考えろ」といいたくなる。たしかに、仕事上、大きな目指すものがあるのは素晴らしい。でも、それを実現するにはどうしても数年かかるし、新卒の仕事ではない。

毎日一歩一歩進めて、チームにもクライアントにも「君がいて良かった」といわれるような、そんな仕事をしなさいと伝えたい。半径5メートル以内の関係性を充実させられれば、おのずと理想の仕事に近づいていくもの、そういうものだと思う。

これは、現職での地方自治体職員も皆いう。
「自分の半径5メートル以内の人を幸せにできなければ、いいまちづくりなんて出来ない」
志があった新卒だったからこそ、今の自分から伝えたい言葉だ。