「考える時間を与えるな。直感と勢いで選ばせろ」
前職で接客業をしていたとき、元営業マンの先輩に言われた言葉だ。
たとえば、お客さんにお店のアプリを入れてもらいたいとする。大抵の場合、これはどのようなアプリか、どんな魅力的な特典があるかなどを説明して、最終的に入れるかどうかお客さんに決断してもらう。どの店にも「アプリ登録目標数」という名のノルマがあり、その達成に店舗スタッフはあの手この手を使ってアプローチしていた。
私はお客さんに対して、アプリの魅力をなるべく順を追って丁寧に説明していた。アプリはお店への再来を促すツールに必ずなる。お客さんにも「登録させられた」のではなく、「登録したい」と思ってアプリを入れてもらいたかった。私の店のアプリ登録数はいまいちパッとしなかったが、それでもお客さんが喜んでアプリを入れてくれたときは嬉しかった。
すると、その様子を見ていた先輩に「お客さんに考える時間を与えるな」と言われたのだ。アプリを入れるかどうか迷う時間が延びると、お客さんが落ち着いて考え直す時間が生まれるから断られやすい。だからほぼ直感と勢いで選ばせろ。そういう意図だった。実際に先輩は、畳み掛けるような説明とアプローチで着実にアプリの登録数を増やしていた。
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「考える時間を与えない」は、接客業や販売業に共通する「買わせる」手法なのかもしれない。私自身、この手法を用いられて購入させられたケースは数多い。
たとえば、都内のとある洋服屋さんでのこと。服のデザインが好きでよく通っていたが、そこの店員さんの接客がまさに「お客さんに考える時間を与えない」のだ。
私がある服を手に取った瞬間に颯爽と近づき、おすすめすることまでは当然。私が購入に難色を示せば「こちらも可愛いですよ!」と次々と別の服を持ってくる。
極め付きは店員さんの畳み掛けるような、テンション爆上げのトーク力。「これ本当に可愛いですよね!」「お姉さんはブラウンの方が似合うと思います!」「これとこれどっちにします?」私の気分もどんどん上がる。
特に「どっちにします?」はずるい。もはや買わない選択肢が排除されて、買わざるを得ない状況が出来上がっているのだ。店員さんは間髪入れずに迷う時間を奪い、自分は限られた時間内にほぼ直感で選ぶしかない。
完全に店員さん優位の中、この店だけで4着の服を1日で買わされた。
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服を買ったことに後悔はない。あれから4年経った今でもその服たちは現役で活躍しているので、私の直感は正しかったんだと思う。
ただ、もう少し自分でじっくり選びたかったし、あの押し付けのような接客の末に買ったとなれば、どれだけいいものでも「買わされた」イメージがこびりつく。それは残念ながら、前職の先輩のアプローチでアプリを入れたお客さんが持つイメージと同じだろう。
きっとアパレル界にも売上ノルマがあるのだろうけど。直感で選ばせればその日の売上は伸びるんだろうけど。その直感でどれだけの人が「買わされた」と思い、後悔するのだろう。
私はやっぱり「買わされた」と思いたくないし、思われたくない。
半年前、久しぶりにその洋服屋さんを訪れた。一緒に行った友だちに「エビアンがよく着る服を見たい」と言われて、くしくもその店しか浮かばなかったから。店員さんは苦手でも、洋服は好きだ。
店員さんはあの頃と変わらず、私が洋服を手に取るたび畳み掛けるような説明をしてきた。ああ、また買わされてしまうかも。そう思ったとき、友だちは全く関係ない話を私に振りながら店の外へ歩みを進めてくれたのだ。
もう、ひとりでこの店には近づかないようにしよう。断れる勇気を持ち合わせるまでは。