ずっとさよならできていなかったものがある。過去の自分への執着だ。もっと言えば、19歳で双極性障害という精神疾患にかかる前の、私への執着である。

人生の勝ち組であったその頃の私。過去の思い出は時間の経過とともにどんどんと美化される。私の記憶の中にある私は、おそらく実態以上に美しく才能にあふれ輝いている。「あのまま上手くいけば今頃〇〇だったのに」「どこまで成功しただろうか」とことあるごとに考えてしまう。同時に「いつまでこだわるつもりなのか」と飽き飽きしている自分もいるのだ。この10年間私は前に進んでいるように見えて、ずっと同じところで踏みとどまっていような気がする。

しかし、最近そんな自分から一歩踏み出せた。そのことに気が付いたのは、引っ越しを機にあるデニムパンツを捨て、新しく2本のデニムパンツを購入したことがきっかけだ。
捨てることができたのは、ユニクロのデニムパンツ。よくあるカラーのありふれたパンツであったが、ひとつだけ私にとって特筆すべき点があった。サイズがXSだったのだ。

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中学でバスケ部、高校で女子サッカー部に所属していた私の脚は、いつも筋肉太りしていてごつごつと太かった。「まよは大根脚だよね」という友人からのからかいに、「大根に失礼」と返すのが鉄板ネタになっていた。当然部活現役の際には、既製品のXSサイズなど入るわけがない。ネタにしつつも、Mサイズでもパツパツの太い脚は、一番のコンプレックスであった。この頃身長は154㎝で、体重は52キロほどであった。

部活を辞め、受験勉強に打ち込んでいると、私の体重と大根脚の筋肉はするすると落ち、浪人を経て大学に入学する頃には、ほっそりとした体躯となっていた。身長は変わらず154㎝、なのに体重42キロまで落ちたのだ。

今なら、入るかもしれない。そう思ってユニクロの試着室に行き、次々とデニムを試してみる。Mサイズ、ゆるゆる。Sサイズ、まだ余裕がある。そしてXSサイズ。なんとぴったりであった。既製品のXSサイズが入ることで、まるで社会全体から「あなたは華奢でスリム体型である」と認められたように感じた。

「やった!私正式に可愛い部類に入れた!」と試着室でガッツポーズをした。

そこから何度そのXSサイズのパンツをはいただろう。大学にも、友達との遊びの場も、デートも。「XSサイズの既製品がぴったりな私」というのは、確実に私に自信を与えた。

自信と余裕のある女は美しい。事実私は大学1年生の頃、人生でもっともモテていて、充実していた。そして、XSサイズのデニムはその象徴であった。

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しかし、精神障害が調子に乗っていた私を襲う。緊急搬送、3か月に及ぶ閉鎖病棟での入院、2年間の休学、引きこもり生活という、人生の最充実期から転げ落ちるように、地獄へ叩きつけられた。体重が増えやすくなる薬の服薬と引きこもり生活から、体重はなん25キロ増え、67キロになった。

ただでさえ自信を失った挫折経験であったが、自慢のXSサイズのパンツはふくらはぎでつっかえる。ぶくぶくと太った身体で、ユニクロの既製品が入るものはなくなり、「大きなサイズの服屋さん」でしか買える服はなくなった。

ボディポジティブという言葉が広まって久しい。プラスサイズモデルやそのプラスサイズモデルが活躍する雑誌も人気である。皆自分の体型を愛し、その体型だからこその「可愛い」「美しい」を目指している。だから、私が25キロ体重を増やしたところで、それ自体が問題だったわけではないだろう。

でも私はあのXSサイズのパンツを捨てることができなかった。それは私が自信を持って充実していた頃の象徴であり、いつか痩せてこのXSサイズがまた入るようになったら、人生は全て好転し元に戻れるのではないか、という淡い期待を抱き続けていた。

ふくらはぎまでしか履けないのに。

なんとこの間10年間、私は履けもしないパンツと叶いもしない期待を持ち続けていたのである。それは、執着であった。

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2024年1月、パートナーと引っ越しをすることになった。タンスを片付けていると、奥の方から、あのXSのパンツが出てきた。いつもこのパンツに出逢う度、焦燥感や焦り、渇望感に見舞われていたのに、今回はなぜかなかった。

パートナーと同棲を開始したこの1年間で私は、10キロのダイエットに成功していたのだ。現在154㎝、57キロ。「痩せている」とは言いがたいけれど、久々に見るくびれが私を再び励ました。もういいじゃん。どこからか声が聞こえたような気がした。42キロに戻れなくても、もう今は今で。自分の体型を愛せなくても、嫌いじゃなければ。

ボディポジティブはまだつかめないけれど、私がボディニュートラルを掴んだ瞬間だった。にこりと笑って、XSサイズをゴミ袋に入れる。「さよなら42キロの私に執着する私」。心の中でそう呟いた。

代わりとなるパンツを探そうと、通販サイトを見ていると、マルチサイズパンツというものに出くわした。身長と体重を入力すると、通常のパンツよりは高いが、ぴったりなものをオリジナルで作成してくれるようだ。154センチ、57キロと入力する。ホワイトデニムパンツとブラックデニムパンツを1本ずつ。さあ、いつ届くかなとわくわくした。
届いた2本のパンツは、本当に私の脚と肌にぴたりと馴染んだ。今ではどこにでかけるのも一緒だ。今はこれでいいじゃん。パンツからそんなエールをもらったような気がした。

42キロの、XSサイズの、輝かしい過去の記憶に、さよならを言うのに10年かかった。けれど、これからは私のありのままのサイズで、生きていく。マルチサイズの2本のパンツは、私なりのそんな宣言なのだ。