先日、ジョージ・オーウェル著の『1984年』を読了した。大学時代に薦められたけど全然読めてなかったな、とか、タイトルの年から40年経ったんだなあ、などと思いながら積読コーナーから『1984年』の文庫を取り出し、なんとなく読み始めた。難解で全体の10分の1すら理解しているかどうか怪しいところだが、人間が直視したくない真実を暴いているような内容で衝撃を受けた。

この本は70年以上も前に発行されたにも関わらず、現代も読み継がれている名著だ。せっかくの機会だ、他の世界的名著も読んでみようとネットで検索した

検索結果に『グレート・ギャツビー』が現れた。この作品も前々から知っていたが、読む勇気がなかった。ハードルが高そうという先入観もあるが、もう一つ理由がある。

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あの春の私に言いたい。『グレート・ギャツビー』を読め。あるいは、翻訳を担当した作家の1人である村上春樹作品を、1冊でもいいから何か読んでほしい。
大学生だった数年前、研究室が一緒で、1歳年上だけど誕生日が1ヶ月くらいしか違わない、いい意味で同期のような先輩がいた。彼は学業優秀でスポーツが日課の、文武両道を体現化したような人。そんな彼が一番熱を注いでいた趣味が読書だった。

特に村上春樹の大ファンで、刊行された作品はほぼ読み尽くしたと言っていた。さらに海外文学にも精通しており、先に述べた『グレート・ギャツビー』は授業の課題にも取り入れていたらしい。私も昔から本を読むのが好きではあったが、その先輩の前では「私も読書が趣味です」とは言いづらかった。好きのレベルが違いすぎる。

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当時、私は先輩のことが気になっていた。研究室で顔を合わせる回数が増えるにつれ、会話が増えた。お互い学業のために研究室に来てるのに、3時間以上たわいもない話をすることも何度かあった。先輩のことが好きだとはっきり認識してから、「先輩の研究が落ち着いて、卒業が決まったら、ダメ元で告白しよう」と密かに決心した。恋愛にかなり奥手な私が、初めて告白しようと思えたのだ。

先輩の卒業が確定したあと、私は手紙で告白をした。返事は「気持ちは嬉しいけど、ごめん」みたいな内容だった。こうなることは分かっていたし、恋人になることまで望んでいなかったとはいえ、悲しかった。現時点でも、人生最大の失恋だった。
しばらくして、私が思わず放った一言で先輩を怒らせてしまった。自分が幼稚で恥ずかしくて、挨拶や簡単な会話しかできなかった。そのまま、先輩は大学を卒業した。

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今振り返ると、若かったなあ、とか、懐かしいなあと思えるくらいには消化できた。だけど、どこかつっかかる。そのつっかかりが何なのか、『1984年』を読了して、『グレート・ギャツビー』を思い出してようやく気が付いた。
先輩と会話する時、私が興味のあるものや最近好きなものが話題になることが多かった。私が観ていたドラマを一緒に観てくれたり、憧れの絶景を見せたら目を輝かせてくれた。

しかし、私は先輩の好きなものや趣味に対して共感しただろうか?先輩の好きな本の内容に興味を持ったり、先輩が話題に挙げた本を読んで感想を伝えたりしただろうか?

趣味にレベルをつけるべきではないが、読書が好きだというレベルとそれに伴う知識は先輩が圧倒的に上だった。知ったかぶろうとして恥ずかしい思いをしたくなかったから、私は読書好きをアピールしなかった。

しかし、今になってわかる。量とか質とか関係なく、同じ趣味を共有できる存在がいることが、どれだけ嬉しいかを。

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あの頃の私よ、先輩が卒業する前に先輩の好きな本を読んでほしい。そして先輩に伝えてほしい。

「先輩が読んでいた『走ることについて語るときに僕の語ること』、私も読みました。面白かったです。他におすすめの本教えてくれませんか?」
きっと何かがいい方向に少し変わったかもしれない。少なくても、私のもやもやは少し晴れるだろう。