一人暮らしを始めた今でも、実家の私の部屋には、学業成就を祈願したお守りが何個もかかったコルクボードがそのまま置かれている。
そのコルクボードの上には、赤い造花でできたブローチが、これも当時のままの状態で置かれている。この造花のブローチは、私が通っていた中学で代々卒業生がつけるものだ。
陰キャのレッテルを避けるため、剣道部への入部を決意
中学生になって私がまず一番に心配したのが、部活動だった。
私の学校ではどこかの部に所属しなければならず、運動が苦手な私の選択肢は吹奏楽部か美術部か家庭科部だったが、音痴だったのでほとんど2択だった。
が、ここで問題となったのが、美術部も家庭科部も、いわゆる陰キャが所属する部とのレッテルを貼られていたことだった。
「せっかくの中学スタート戦に、陰キャレッテルを背負うのはまずいぞ……」
そう思った私は、比較的筋トレが少なそうというのと、友達の誘いで剣道部に入部した。
もちろん初心者であったが、未経験の先輩もいたり新入部員が少なかったりで熱烈に歓迎された。特に男子の先輩は練習をサボりたいからと、我先にと率先して未経験者の面倒を見てくれた。
練習中は進んでサボリ魔になる先輩たちだったが、地域の剣道チームに所属している経験者で強者が多く、試合になると人がガラリと変わったかのように真面目になり、勝ちを取って帰ってきた。そんなギャップを見ながら、同級生にはない先輩マジックも加わって、想いを馳せるようになっていた。
先輩の想い人は知り合い。気持ちを伝えることなく撃沈した
昼休み、外に出てサッカーをする推しの先輩たちの姿を、歯磨きしながら友達と眺めるのが日課となった。私の学校の校舎は古く、水道が外に設置されているタイプだったのだ。
運動会では、ソーラン節を踊っている姿にキャーキャー言いすぎて、先生から「黄色い声援はやめなさい」と注意されるほどだった。そして部活対抗リレーの前には、道着に着替えた先輩たちを捕まえて一緒に写真を撮ってもらった。この写真は、今も実家の引き出しに入っている。
そんな恋とも憧れともいえる存在だった先輩に想い人がいることを知ったのは、先輩が引退する直前だった。私の気持ちは伝わることなく、撃沈してしまったのだ。しかもその想い人というのが私の知り合いで、どうやら両想いのようだった。
悔しいから「先輩のこと、向こうがどう思ってるか聞きたいですか~?」と格好の餌をぶら下げながら、意地悪に話しかけた。
内心では、話す口実ができたことの喜びと、届かなかった想いが複雑に絡んでいたが、それでも喜びのほうが大きかったように思う。まるで、好きな人の反応をからかう小学生だ。
先輩は真っ赤にした顔を、恥ずかしいからとタオルで隠しながら、それでもどう思っているか聞きたいと私に向かってきた。
「顔めっちゃ真っ赤ですよ?」というと、逃げるように隠れる先輩を見ながら、こんな人に想ってもらえたら幸せだろうなと羨ましかった。
卒業式の日、先輩のブローチだけは私が貰い受けると決めた
結局、私の気持ちを知らないまま、先輩の卒業式を迎えた。
私の学校では、在校生が二列に並んで、その真ん中を卒業生が通って出ていくという構図だった。この時卒業生は、自分がつけていた造花のブローチを、お気に入りの後輩に渡すという伝統がある。そう、私の学校では第二ボタンではなくこのブローチを貰うことが重要なのだ。
私は覚悟を決めていた。先輩のブローチだけは、私が貰い受ける!先輩が目の前を通り過ぎる瞬間、「先輩、花!花!」と叫んだ。
先輩は「えっ?!あぁ……」ともごもごしながら、胸元にしっかり固定されたピンと格闘し始めた。ピンはなかなか外れず、退場する列を止めるわけにもいかないので、先輩のブローチは後ろにいた別の先輩経由で私のもとへとやってきた。
スマートではなかったが、なんとか目的を果たすことはできた。そう、コルクボードの上のブローチは私のものではなく、先輩のものなのだ。
中学時代の憧れのような恋心は、この赤い造花のブローチによって報われた気がする。もう使い道はないけれど、今もこの赤を見ては、顔を真っ赤にしていた先輩とあの頃の気持ちを思い出している。