ーー妊娠した。
病院の予約時刻は15分後。トイレの中、その青い線を呆然と見つめた。

◎          ◎ 

大好きな人との結婚から4ヶ月、生理が来ていないとは思っていた。
結婚式直後からの新生活、同時にスタートした転職活動、飛行機に乗っての新婚旅行。
毎日が新鮮で、慌ただしくも充実した日々だった。
私の身体は、ストレスを感じると生理を止めてしまう。医者からは、PCOS(多嚢胞性卵巣症候群)の疑いがあるが、もし子供が欲しくなったら排卵誘発剤を服用すれば大丈夫と言われている。だから、生理周期はいつも不安定。今も止まっているけれど、新しい職場で仕事に慣れればまた再開するはずと、気にも留めていなかった。

そんなある日、39.3度の熱が出た。疲れが出たかなと思ったが、流石に出勤できる状態ではない。上司に連絡して有休を取得し、発熱外来を予約した。
バタバタと家を出ようとした瞬間、ふと「結婚したんだから、薬には気をつけなさいよ」という母の言葉が、頭をよぎった。
この熱だと、確実に薬を処方される。万が一のことがあったら、ちょっとマズいかも。とはいえ、どうせストレスで排卵は止まっているだろうし、まぁ大丈夫でしょう。
なんて思いながら、検査薬のアルミ袋を開ける。先月
一応買ってみた、2本入りのものの余りだ。

そうして尿をかけるや否や、判定窓にくっきりと青い線が浮かび上がった。
1ヶ月前とは明らかに違う結果。

奇しくも、転職活動を経て、やっと迎えた初出社の翌日だった。

◎          ◎ 

子供ができること、新たな命を育むこと、家族が増えることーーもちろん大切で、めでたいことだと思う。

でも、まだなんの覚悟もできていない女性にとって、「これからあなたの人生が、あなただけのものではなくなりますよ」と宣告されるその瞬間は、本当に喜ばしいものなのだろうか。

まず思ったのが、仕事のことだった。
法律上、社員が産休・育休の取得を求めた場合、原則として会社はその申し出を拒むことができない。ただし、入社1年未満の社員による育休の申し出は、労使協定を結んでいる場合、例外として拒否することができる。
今回の転職は、2〜3年後の未来に子供を授かることも考慮してのことだった。前職ではワーカーホリック気味に仕事をしていたから、ワークライフバランスの取り易い職場に移りたい。子育てができるよう、制度も整った会社が良い。でも、できれば思うキャリアを歩めるよう、これまでの経験を活かしたい。そんな風に色々と欲張って必死に頑張って、なんとか勝ち取ったポジションだった。

だから、子供を持つことを考えていなかったわけではない。でも、まさか、こんなタイミングで出来てしまうなんて……。
ただただ不安で、どうすれば良いのかわからない。そのうえ高熱はコロナで、咳も止まらず、意識が朦朧とする。夫にすがりついて泣きたい。でも、コロナはうつしたくない。孤独で、どうしようもなくて、未来なんて見えなかった。

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ーーそれが、つい4ヶ月前のこと。
今、妊娠7ヶ月を無事に迎え、あの荒れようはなんだったのだろうと思うほど、幸福で穏やかな日々を送っている。平らだったお腹はもう、今では随分と大きくなった。胎動もしっかりと感じられる。
つわりをごまかしながらなんとか働き続け、上司には2ヶ月前にやっと報告した。「実は、妊娠してしまって……」と言葉に詰まる私の話を、上司は自分も涙ぐみながら聞いてくれた。入社したばかりなのに、戦力として十分頑張ってくれている。体調第一で出産を迎えられるよう、できるサポートは何でもすると言ってくれた。

ただ、やはり制度上、育児休暇は入社から1年が経たないと、申請すらできない。出産から2ヶ月で職場復帰せざるを得ず、今でも不安を感じている。
もしやり直せるのであれば、仕事の心配なんてせずに、その瞬間を全力で喜んで迎えたかった。子育てもキャリアも両立できるのが、もっと当たり前の国なら良かった。
結婚前から子供を望んでいた夫に、満面の笑みで「妊娠したかも」と報告したかった。

あの時、喜んであげられなくてごめんねと、思いを込めてお腹を撫でる。
ポンと元気よく、我が子が動いたのを感じた。