「旅とは決断」とはよく言ったもので、まさにその通りの言葉だと思う。お金はかかるしリスクもあるのに、行かなきゃいけない理由は1つもない。それでも「あの地に立ってめいいっぱい深呼吸をした時、私の五感で感じることを知りたい」、そんな好奇心と胸の高鳴りだけで、旅は始まる。始められてしまう。

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2年前の春、あそこに行くまでは死ねないリストの1つを訪れた。「吉野の桜」、文字列だけで覇気すら感じる、奈良県吉野山の桜。

決断は突然やってきた。新年度が近づく頃、今年はお花見できるかな~とぼんやり考えていると、昔読んだ小説で「むせ返るほど」と称されていた桜の名所を思い出したのだ。自然豊かな地元での暮らしから一変、上京してからは行儀よく並べられた桜ばかり見ていて、コンクリートの中で好きなだけ根を伸ばせるのか心配していた私は、むせ返るほどの桜をこの目に映したいと思ってしまった。

普段は石橋を叩き割るフットワークの重さを見せているのに、この時はすぐ、今行くべき理由で頭がいっぱいになった。あと80年生きたとして、満開の桜が見られるのは何回だろう。

弾丸旅なんて独身の醍醐味だろうし、何より、春は変化の季節。特に環境の変化がなく、有休を取れる年はレアかもしれない。あらゆる理由を並べて、ひとまずこの提案に乗ってくれそうな彼氏にLINEをする。

「今週末、奈良にお花見行かない?仕事終わりに新幹線でビールのもうよ」

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突然の提案に驚かれつつ、宿とチケットは用意するからと引きずって行く。東京駅から新幹線で2時間、1泊した京都駅から電車で2時間、さらに山頂までバスに揺られて、ようやく「むせ返るほど」の吉野の桜を目にした。

見渡す限りの山の斜面に、白、ピンク、薄ピンク、何種類もの桜が咲き誇っている。遠くの斜面に座り込む人々は、持参したおにぎりを食べているのだろう。非現実的な風景に馴染む米粒サイズの家族連れは、昔話の登場人物のように見えた。

桃源郷ってこんなところなんだろうな、天国も、こんなところだったらいいな。そんなことを思いながら、念願の景色を胸いっぱいに吸い込む。下山が惜しい。ずっとここにいたい。むせ返るほどの桜を、この目にしっかりと焼き付ける。

電車も最寄り駅もバスのなかも、とにかく混んでいて窮屈だった。日頃いかに混雑を避けて生き延びるかを考えている人間からすれば、いきなりあっち側の世界に飛び込んだような、あの日の自分はなんだったんだろうと思ってしまうほど、何かに衝き動かされていたのだ。

あそこに行くまで死ねないリストにスタンプを押して、私は日常に帰ってきた。しかし、リストはまだ終わらない。「旅は決断」、と口にして、この地球を味わい尽くしたい。