私は弱者。今よく言われる弱者人間と言われる部類の人間。体が勝手に動く…歯止めが効かなくのは私にとっては病気の、障害の部類に入ります。それでいくつもの失敗をしてきた。

たくさんそんな経験がある。

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私はいつも鏡を見ると自分が化け物に見える。とっておきの時は目の前がブラックホールのようになる。吸い込まれる。自分の目を見る。醜い、汚い、何もできない、目が腐った夏場の魚のような目になり恐ろしくなり鏡を割ってしまいそうになる。

人間は誰しも試練を持って生まれてきたのならなぜ私はこんなにも苦しくて辛いのだろうと思ってそのまま限界に達した時に「そうだ、死のう」と思った。体が勝手に動くと思った。なのに怖くて動かなかった。涙も出なかった。なぜだろう、いつも痛いことも苦しいことも耐えられるなら死ぬことも、そこに達するまでの痛みも耐えられるのではないか。私の肉体は意思とは違った。「生きさせて」と言っているようだった。

目の前は暗くて寒くて長いトンネルが広がっている。このまま死んでしまえたらどれだけ楽だろうと思った。もう少し生きてみたらいい。じゃあどれだけ生きたらいい?私は頑張ったのかな?そう自問自答してもわからない。

脳みそが意地悪をする病気が私の今の一番の人生においての障害なのだが他にも色々な疾患や障害を抱えている。

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忘れられないエピソードがある。私が幼少期に何か少し注目されるようなことがあると絶対に周りは馬鹿にしてきた。コイツに負けた…という思いが強かったのだろう。

お前らのほうが生きやすくてどれだけいい思いをしていても弱い人間が上の立場に立つと許せないらしい。私の力で頑張ったことを全て馬鹿にし、話のネタにした。親友がスポーツ大会の後に私にだけは負けるのが嫌だと号泣したというエピソードを両親からツテで聞いた。

なぜ今になって思い出すのだろう。心にずっと隠しておいたはずなのに私はそこで地面に這いつくばって生きていろと小さい時から言われていたようだった。

昔の私の姿がたくさん目に映る。フラッシュバックしてくる。
でもその1人の少女と大人になった女性はずっと涙と鼻水で顔面がぐちゃぐちゃになっている。その私を抱きしめられるのは今の私だけだ。

私は自分が大嫌いだ。でも過去の自分を抱きしめて「頑張ったね、いいんだよ、頑張ってるよ」と言えるのは私しかいないのだ。部屋で、トイレで、教室で泣いている私は笑われて蔑まれている。

超能力者でもマジシャンでもないからそんなことはできないけど、文字と空想なら抱きしめることができる。彼女が救われたらいいなと思う。

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今でも極寒の中で震えながら生きている。
それでも私はこの手を止められない。書き続けることで何か、作家になれるわけでもない。膨大な大金を得ることもない。神様のように称賛されるわけでもない。でも私は動かずにはいられない。それは自分のわがままであり悲劇のヒロイン症候群かもしれない。

でも過去の自分を救い出すために、自分を自分で保っていられるためにスマートフォンの文字を打っている。私の手はこの瞬間勝手に動いている。あんなに死のうとしていた時、へたり込んでピクリとも腕も動かせなかったのに。

救われたいわけでもない。書き出すと私の身体が勝手に動き出す。もう1人の自分が「辛くても書きなさい」と言っているように。
障害の一つに集中力が長く続かないというものがある。私はそれでもこれはやり遂げたいと自分の心が勝手に動いている。やり遂げられずに幼少期に馬鹿にされた、両親にも蔑まれた。

過去の私の辛さは自分しかわからない。
だから私は今日も一文字でもいいから文字を打っている。
見ててくれてるかな、過去の私。
どうか泣かないで、死ねなかったけれど自分を少し生かせるようなことを今やっているから。